Up 流しと拘り 作成: 2018-06-29
更新: 2018-06-29


      本居宣長『宇比山踏』
    文義の心得がたきところを、はじめより、一々に解せんとしては、とどこほりて、すゝまぬ ことあれば、聞えぬところは、まづそのまゝにて過すぞよき、
    殊に世に難き事にしたるふしぶしを、まづしらんとするは、いといとわろし、
    たゞよく聞えたる所に、心をつけて、深く味ふべき也、
    こはよく聞えたる事也と思ひて、なほざりに見過せば、すべてこまかなる意味もしられず、又おほく心得たがひの有て、いつまでも、其誤リをえさとらざる事有也

    「よく聞えたる所」は,「要所」に他ならない。
    「心得がたきところをそのまゝにて過す」は,「要所」に関してはうまくいかない。
    「深く味ふべき」となるわけである。

    「深く味ふべき」には,「字面(じづら)ではないぜ」が含まれている。
    例えば,数学の用語は定義されているが,定義は,これの意図・本意が何であるかをわかってはじめて,「わかった」となるのである。