本居宣長は,古道 (「やまとたましひ」「皇大御國」) を主張する者である。
このときの宣長は,表現者である。
即ち,わざとこれをやっている。
宣長は,儒仏に傾倒する風潮を批判する者である。
宣長は,儒教・仏教者を嫌う。
彼らを,異文化の規範主義 (「道といふ言擧」) に倣う者として嫌うのである。
そして,批判の言説をつくる。
このとき,「やまとたましひ」「皇大御國」のことばを効果的なことばとみて,このことばを使う。
使ううちに,ノリで使っていくようになる。
宣長は,論をつぎのように進める:
「物のあはれ」→「やまとたましひ」「神ながら」→「皇大御國」
これは,短絡の論法である。
短絡は,「大勢」の導入のところにある。
「漢才」へのカウンターとして用いられていた「やまとたましいひ」を採用するところが,それである。
実際,批判は,数には数で対抗せねばならない。
「物のあはれを知る心」を,大勢のものとしなければならない。
「大勢」は,「潜在的に大勢」とするのみである。
そこで,「わが国の」を立てる──「やまとたましひ」「皇大御國」。
これは,「日本型」短絡の好例であり,他山の石である。
宣長に対して見るべきは,学者と表現者のダブルスタンダードである。
学者として,「古人の心」を立て,これを探求する。
このときの古人は,特定の古人である。
そして表現者として,「古人の心」を「やまとたましひ」と定める。
古人が,不特定多数になる。
さらに勢いで「皇大御國」までぶっ飛ぶ。
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本居宣長『うひ山ぶみ』
さてその主としてよるべきすぢは何れぞといへば、道の学問なり。
そもそも此道は、天照大御神の道にして、天皇の天下をしろしめす道。
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また件の書どもを早くよまば、やまとたましひよく堅固まりて、漢意におちいらぬ衛にもよかるべき也。
道を学ばんと心ざすともがらは、第一に漢意儒意を清く濯ぎ去りて、やまと魂をかたくする事を要とすべし。
‥‥
さてまた漢籍をもまじへよむべし。
古書どもは皆漢字漢文を借りて記され、殊に孝徳天皇天智天皇の御世のころよりしてこなたは万づの事かの国の制によられたるが多ければ、史どもをよむにも、かの国ぶみのやうをも、大抵は知らでは、ゆきとどきがたき事多ければ也。
但し、からぶみを見るには殊にやまとたましひをよくかためおきて見ざれば、かのふみのことよきにまどはさるることぞ。此心得肝要也。
‥‥
さて上にいへるごとく、二典の次には万葉集をよく万ぶべし。
みづからも古風の歌をまなびてよむべし。
‥‥
すべてみづから歌をもよみ、物がたりぶみなどをも常に見て、いにしへ人の、風雅のおもむきをしるは、歌まなびのためはいふに及ばず、古の道を明らめしる学問にも、いみじくたすけとなるわざなりかし。
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本居宣長『玉勝間』
古今集に、やまひして、よわくなりにける時よめる、なりひらの朝臣、
「つひにゆく 道とはかねて聞しかど
きのふけふとは 思はざりしを」
契沖いはく、
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これ人のまことの心にて、をしへにもよき歌也、
後々の人は、死なんとするきはにいたりて、ことごとしきうたをよみ、あるは道をさとれるよしなどよめる、
まことしからずして、いとにくし、
たゞなる時こそ、狂言綺語をもまじへめ、いまはとあらんときにだに、心のまことにかへれかし、
此朝臣は、一生のまこと、此歌にあらはれ、後の人は、一生の僞リをあらはして死ぬる也」
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といへるは、ほうしのことばにもにず、いといとたふとし、
やまとだましひなる人は、法師ながら、かくこそ有けれ、
から心なる神道者歌學者、まさにかうはいはんや、
契沖法師は、よの人にまことを敎ヘ、神道者歌學者は、いつはりをぞをしふなる
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本居宣長『うひ山ぶみ』
すべて神の道は、儒仏などの道の、善悪是非をこちたくさだせるやうなる理窟は、露ばかりもなく、たゞゆたかにおほらかに、雅たる物にて、歌のおもむきぞ、よくこれにかなへりける、
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『古事記伝』「古記典等総論」
さて此記は、字の文をもかざらずて、もはら古語をむねとはして、古ヘの実のありさまを失はじと勤たること、序に見え、又今次々に云が如し。
然るに彼ノ書紀いできてより、世ノ人おしなべて、彼レをのみ尊み用ひて、此記は名をだに知ラぬも多し。
其ノ所以はいかにといふに、漢籍の学問さかりに行はれて、何事も彼ノ国のさまをのみ、人毎にうらやみ好むからに、書紀の、その漢国の国史と云フふみのさまに似たるをよろこびて、此記のすなほなるを見ては、正しき国史の体にあらずなど云て、取ラずなりぬるものぞ。
‥‥
此の記の優れる事をいはむには、先ず上代に書籍と云物なくして、たゞ人の口に言伝へたらむ事は、必ず書紀の文の如くには非ずて、此の記の詞のごとくにぞ有りけむ。
彼はもはら漢に似るを旨として、其の文章をかざれるを、此れは漢にかゝはらず、古の語言を失はぬを主とせり。
抑も意と事と言とは、みな相称へる物にして、上ツ代は、意も事も言も上ツ代、後ノ代は、意も事も言も後ノ代、漢国は、意も事も言も漢国なるを、書紀は、後ノ代の意をもて、上ツ代の事を記し、漢国の言を以テ、皇国の意を記されたる故に、あひかなはざること多かるを、此の記は、いささかもさかしらを加へずて、古ヘより云ヒ伝ヘたるまゝに記されたれば、その意も事も言も相称て、皆上ツ代の実なり。
是レもはら古ヘの語言を主としたるが故ぞかし。
すべて意も事も、言を以て伝フるものなれば、書はその記せる言辞ぞ主には有りける。
又書紀は、漢文章を思はれたるゆゑに、皇国の古言の文は、失たるが多きを、此の記は、古言のままなるが故に、上ツ代の言の文も、いと美麗しきものをや。
‥‥
かにかくにこの漢の習気を洗ひ去るぞ、古学の務には有リける。
然るを世々の物知人の、書紀を説るさまなど、たゞ漢の潤色ノ文のみをむねとして、その義理にのみかゝづらひて、本とある古語をば、なほざりに思ひ過せるは、かへすがへすもあぢきなきわざなり。
語にかゝはらず、義理をのみ旨とするは、異国の儒佛などの、教戒の書こそさもあらめ、大御国の古書は、然人の教戒をかきあらはし、はた物の理などを論へることなどは、つゆばかりもなくてたゞ古ヘを記せる語の外には、何の隠れたる意をも理をも、こめたるものにあらず。
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本居宣長『源氏物語玉の小櫛』一の巻
おほかた異國の書は、ひたすら人の善悪是非を、きびしくこちたく論ひ、物の道理をうがちて、さかしげに、人ごとに、われがしこにいひきそひて、
風雅のすぢの詩藻のたぐひといへども皇國の歌とはこよなくかはりて、
なほ情のおくのくまをばかくして、あらはにはのベず、うはべをつくろひかざりて、とにかくにさかしくつくりなせるを、
皇國の物がたりぶみは、世の有リさま、人の情のやうを、ありのまゝに書出たる故に、大かた物はかなく、しどけなげなる事のみにて、をゝしくさかしだち、したゝかなることはなき、
これ異國と、つくりやうのかはれるなり、
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本居宣長『直毘霊』
皇大御國は、掛まくも可畏き神御祖天照大御神の、御生坐る大御國にして、
大御神、大御手に天つ璽を捧持して、
萬千秋の長秋に、吾御子のしろしめさむ國なりと、ことよさし賜へりしまにまに、
天雲のむかぶすかぎり、谷蟇のさわたるきはみ、皇御孫命の大御食國とさだまりて、天下にはあらぶる神もなく、まつろわぬ人もなく、
千萬御世の御末の御代まで、天皇命はしも、大御神の御子とましまして、
天つ神の御子を大御心として、
神代も今もへだてなく、
神ながら安國と、平けく所知看しける大御國になもありければ、
古ヘの大御世には、道といふ言擧もさらになかりき。
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ちなみに,学者と表現者のダブルスタンダードは,ふつうのことである。
──例えばメタ学 (「○○学」生態学) をやる者の常套である。
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