Up | 「死ぬことと見つけたり」 | 作成: 2019-06-28 更新: 2019-06-28 |
一、武士道といふは、死ぬ事と見附けたり。」 (山本常朝『葉隠』聞書第1-002) 「死ぬことと見つけたり」の理は,いまの時代には当たらない。 これは,「常住死身」から別けておくことになる。 いちおう念のため,このことをここで押さえておく。 「死ぬことと見つけたり」の「死」は,鮭の産卵の死と同型である。 この死は,《死=作品》の死である。 <わたし>を残すことは死ぬことである。 この「<わたし>を残す」は,「名を残す」である。 「功名」である。 これは,死に様で決せられる。 死に様が拙いと,これまでやってきたことすべてが無になる。 この理は,いまの時代には当たらない。 この社会は情報社会である。 情報社会は,すべてが相対化され,すべてが一瞬に忘れられる。 情報の新陳代謝が激しいのである。 この社会では,「名」は何ものでもない。 これ見よがしの自殺が惨めなのは,「これ見よがし」にはまったくならないからである。 ひとは,直ぐに忘れる。 何事もなかったかになる。 |