Up 常住死身 作成: 2019-06-25
更新: 2019-06-25


       山本常朝『葉隠』聞書第1-002
    道は死ぬ事、毎朝毎夕常住死身になれ、家職を仕果す
    一、武士道といふは、死ぬ事と見附けたり。
    二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片附くばかり也。
    別に仔細なし。
    胸据わって進む也。
    圖に當たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打上がりたる武道なるべし。
    二つ二つの場にて圖に當たるやうにする事は及ばざる事也。
    我人、生くる方が好き也。 多分好きの方に理が附くべし。
    若し圖にはづれて生きたらば腰抜け也。
    この境危うき也。
    圖にはづれて死にたらば、犬死氣違也。 恥にあらず。
    これが武道に丈夫也。
    毎朝毎夕、改めては死に、改めては死に、常住死身なりて居る時は、武道に自由を得、一生落度無く、家職を仕果すべき也。


    武士は<死ぬか生きるか>の勝負をやるのが仕事である。
    死はいつも身近にあるから,「常住死身」を構えとすることになる。

    さて,誰にとっても死は不意のものである。
    不意が嫌なら,備えることになる。
    よって「常住死身」は,現代人にもモットーにはなりそうである。


    「常住死身」は,「二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片附くばかり」がこれの実践形だという。
    延命を択ぶと外れるというのが,その理である。

      ここでは,「腰抜け」になることが<外れ>である。
      武士は<死ぬか生きるか>の勝負をやるのが仕事であるから,「腰抜け」と定められることは武士をやれなくなるということである。
      ここでの「腰抜け」の意味は現代人が考えるものよりはるかに重いということに,注意せよ。

    「二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片附くばかり」も,現代に当てはまるところはある。
    実際,現代社会には延命を択んでおかしくしていることが,いろいろある。
    本末転倒が生じるのである。
    この本末転倒は,正のフィードバックが働いて,ますます度外れたものになっていく。

      例えば,安全指向。
      安全は生活のための安全であるが,安全のための生活になる。──安全指導に従わない者は<不良分子>である。

    つぎも,言っていることは「延命を択ぶと外れる」である:
       良寛
    災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。
    死ぬる時節には死ぬがよく候。
    是はこれ災難をのがるる妙法にて候。


    ただし,「延命を択ばない」は,誰にも当たるというものではない。
    特に,若い者には当たらないとしておくのが無難である。
    本論考がここで論考しようとするのは,あくまでも年寄りの場合の「延命を択ばない」である。