Up | 表現としての自殺 | 作成: 2019-06-25 更新: 2019-06-25 |
大衆は自殺しないので,自殺をすれば「自分は大衆とは違う」になるわけである。 「自分は大衆とは違う」は,体制批判を含蓄している。 実際,体制に抗議する自殺がある。(「フランシーヌの場合」) 「体制抗議の自殺」を立てるとき,「表現としての自殺」と「戦術としての自殺」の違いがはっきりしなくなる。 実際,体制を<大衆から遊離したいまや敵>と定めるときの体制抗議の自殺は,「戦術としての自殺」である。 ここでは,「表現としての自殺」と「戦術としての自殺」を,匿名性を規準にして分けておく。 ──「表現としての自殺」の「表現」は自己表現であり,<人知れず>だと意味がない。
自爆テロの自殺は,匿名なら「戦術としての自殺」だが,英雄として名を残そうというものだったら「表現としての自殺」になる。 「表現としての自殺」は,「これ見よがし」の自殺である。 芝居がかると嫌味になる。 |