「デモクラシー」とは,つぎの文中に出てくる「共進化」「妥協のネットワーク」がこれである:
|
カウフマン『自己組織化と進化の論理』
p.54
生物圏における秩序の根源は,‥‥‥自然淘汰と自己組織化の両方を含むものでなければならない。‥‥‥
生命の歴史は自然の秩序をとらえ,そして自然淘汰は,その秩序に対して働きかけることを許された力なのである。
p.55
生命は多くの場合,カオスと秩序の間 [「カオスの縁」] で平衡を保たれた状況に向って進化する‥‥‥
調節のきいた遺伝子のネットワークをカオスの縁付近に位置づけたのが自然淘汰である
p.58
おのおのの種は自己の利益のために活動しているに過ぎないのに,系全体としては,まるで「見えざる手」にあやつられているかのように振る舞う。
そしてだいたい,各種が最善を尽くしたときに行き着くような安定な状態へと進化するのである。
ところが,この最善の努力にもかかわらず,系全体の集団的な振る舞いによって,最終的にはおのおのが絶滅へと追いやられる。
p.60
[砂山崩し (自己組織化臨界現象モデル) の] 雪崩の規模を直角座標系のx軸にプロットし,その規模の雪崩が起きた回数をy軸にプロットすると,ある曲線が得られる。
結果は,ベキ乗則と呼ばれる関係となる。‥‥‥
それは,同じ大きさの砂粒が,小さな雪崩も,大きな雪崩も引き起こせるという驚くべき事実を意味している。
一般に,小さな雪崩の回数は多く,また大きな知滑りはまれにしか起こらない(これはベキ乗分布のもつ性質である)と論ずることはできる。しかし,ある特定の雪崩が,小さな微々たるものであるか,あるいは破局的なものであるかを予め知ることはできない。
p.61
砂山、自己組織化臨界現象、そしてカオスの縁。
私の考えが正しければ、共進化の真の性質はこのカオスの縁に到達することにある。
妥協のネットワークの中で、それぞれの種は可能なかぎり繁栄する。
しかし、次のステップで、最善と思われた一歩が、ほとんど何ももたらさないのか、それとも地滑りを引き起こすのか、誰も推定できない。
この不確かな世界においては、大小の雪崩が、無情に系を押し流していく。
各自の一歩一歩が大小の雪崩をもたらし、坂の下のほうを歩いている人を押しつぶしていく。
みずからの一歩が引き起こした雪崩によって、自分自身の命が奪われることもあるかもしれない。
こうしたイメージは、われわれが探し求めている創発理論の基本的な特徴をとらえているように思われる。
秩序とカオスの中間のつり合いが保たれた状態では、演技者たちは、自分たちの活動がのちにどういう結果を引き起こすのかをあらかじめ知ることはできない。
均衡状態で起こる雪崩の規模の分布については法則性があっても、個々の雪崩については予測不可能なのである。
次の一歩が百年に一度の地滑りを起こすかもしれないとしたら、注意深く歩く必要があるだろう。
このつり合いのとれた世界においては、長期間にわたる予測はあきらめなければならない。
われわれ自身の最善と思われる活動がもたらす真の結果は、知ることができないのである。
われわれ演技者は、部分的に賢く振る舞うことはできる。
しかし、長期的にみて賢く振る舞うことはできない。
われわれにできることは、身を引き締めて何とかできるかぎりのことをやっていくしかない。
|
|
自己組織化
- 参考文献
- Kauffman, Stuart : At home in the universe ─ The search for laws of self-organization and complexity.
Oxford University Press, 1995.
米沢富美子[監訳]『自己組織化と進化の論理 ─ 宇宙を貫く複雑系の法則』, 日本経済新聞社, 1999.
|