Up 現成公案 (げんじょうこうあん) 作成: 2009-10-25
更新: 2009-10-25


    第一 現成公案

    諸法の佛法なる時節,すなはち迷悟あり,修行あり,生あり死あり,諸佛あり衆生あり。
    萬法ともにわれにあらざる時節,まどひなくさとりなく,諸佛なく衆生なく,生なく滅なし。
    佛道もとより豐儉より跳出せるゆゑに,生滅あり,迷悟あり,生佛あり。
    しかもかくのごとくなりといへども,花は愛惜にちり,草は棄嫌におふるのみなり。

    自己をはこびて萬法を修證するを迷とす,萬法すすみて自己を修證するはさとりなり。
    迷を大悟するは諸佛なり,悟に大迷なるは衆生なり。
    さらに悟上に得悟する漢あり,迷中又迷の漢あり。
    諸佛のまさしく諸佛なるときは,自己は諸佛なりと覺知することをもちゐず。 しかあれども證佛なり,佛を證しもてゆく。

    身心を擧(こ)して色を見取し,身心を擧して聲を聽取するに,したしく會取すれども,かがみに影をやどすがごとくにあらず,水と月とのごとくにあらず。
    一方を證するときは一方はくらし。

    佛道をならふといふは,自己をならふ也。
    自己をならふといふは,自己をわするるなり。
    自己をわするるといふは,萬法に證せらるるなり。
    萬法に證せらるるといふは,自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
    悟迹の休歇なるあり,休歇なる悟迹を長々出ならしむ。

    人,はじめて法をもとむるとき,はるかに法の邊際を離却せり。
    法すでにおのれに正傳するとき,すみやかに本分人なり。
    《人,舟にのりてゆくに,めをめぐらして岸をみれば,きしのうつるとあやまる,目をしたしく舟につくれば,ふねのすすむをしる》がごとく,《身心を亂想して萬法を辨肯するには,自心自性は常住なるかとあやまる,もし行李(あんり)をしたしくして箇裏に歸すれば,萬法のわれにあらぬ道理あきらけし》。

    たき木,はひ(灰)となる,さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを,灰はのち,薪はさきと見取すべからず。
    しるべし,薪は薪の法位に住して,さきありのちあり。 前後ありといへども,前後際斷せり。
    灰は灰の法位にありて,のちありさきあり。
    《かのたき木,はひとなりぬるのち,さらに薪とならざる》がごとく,《人のしぬるのち,さらに生とならず》。
    しかあるを,生の死になるといはざるは,佛法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生といふ。
    死の生にならざる,法輪のさだまれる佛轉なり。このゆゑに不滅といふ。
    生も一時のくらゐなり,死も一時のくらゐなり。
    たとへば,冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず,春の夏となるといはぬなり。

    人のさとりをうる,水に月のやどるがごとし。
    月ぬれず,水やぶれず。
    ひろくおほきなるひかりにてあれど,尺寸の水にやどり,全月も彌天も,くさの露にもやどり,一滴の水にもやどる。
    さとりの人をやぶらざる事,月の水をうがたざるがごとし。
    人のさとりをけい礙せざること,滴露の天月をけい礙せざるがごとし。
    ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は,大水小水を検點し,天月の廣狹を辨取すべし。

    身心に法いまだ參飽せざるには,法すでにたれりとおぼゆ。
    法もし身心に充足すれば,ひとかたは,たらずとおぼゆるなり。
    たとへば,船にのりて山なき海中にいでて四方をみるに,ただまろにのみみゆ,さらにことなる相みゆることなし。
    しかあれど,この大海,まろなるにあらず,方なるにあらず,のこれる海徳つくすべからざるなり。宮殿のごとし,瓔珞のごとし。
    ただ,わがまなこのおよぶところ,しばらくまろにみゆるのみなり。
    かれがごとく,萬法またしかあり。
    塵中格外,おほく樣子を帶せりといへども,參學眼力のおよぶばかりを見取會取するなり。
    萬法の家風をきかんには,方圓とみゆるほかに,のこりの海徳山徳おほくきはまりなく,よもの世界あることをしるべし。
    かたはらのみかくのごとくあるにあらず,直下も一滴もしかあるとしるべし。

    うを(魚)水をゆくに,ゆけども水のきはなく,鳥そらをとぶに,とぶといへどもそらのきはなし。
    しかあれども,うをとり,いまだむかしよりみづそらをはなれず。
    只用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。
    かくのごとくして,頭頭に邊際をつくさずといふ事なく,處處に踏翻せずといふことなしといへども,鳥もしそらをいづればたちまちに死す,魚もし水をいづればたちまちに死す。
    以水爲命しりぬべし,以空爲命しりぬべし。
    以鳥爲命あり,以魚爲命あり。
    以命爲鳥なるべし,以命爲魚なるべし。
    このほかさらに進歩あるべし。修證あり,その壽者命者あること,かくのごとし。

    しかあるを,水をきはめ,そらをきはめてのち,水そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは,水にもそらにもみちをうべからず,ところをうべからず。
    このところをうれば,この行李したがひて現成公案す。
    このみちをうれば,この行李したがひて現成公案なり。
    このみち,このところ,大にあらず小にあらず,自にあらず他にあらず,さきよりあるにあらず,いま現ずるにあらざるがゆゑに,かくのごとくあるなり。

    しかあるがごとく,人もし佛道を修證するに,得一法通一法なり,遇一行修一行なり。
    《これにところあり,みち通達せるによりて,しらるるきはのしるからざる》は,この<しること>の,<佛法の究盡>と同生し,同參するゆゑにしかあるなり。
    「得處かならず自己の知見となりて,慮知にしられんずる」と,ならふことなかれ。
    證究すみやかに現成すといへども,密有かならずしも現成にあらず,見成これ何必なり。

    麻浴山(まよくざん)寶徹禪師,あふぎをつかふちなみに,僧きたりてとふ。「風性(じょう)常住,無處不周」なり,なにをもてか,さらに和尚あふぎをつかふ。
    師いはく,なんぢただ「風性常住」をしれりとも,いまだ<「ところとしていたらずといふことなき」道理>をしらずと。
    僧いはく,いかならんかこれ<「無處不周底」の道理>。
    ときに,師,あふぎをつかふのみなり。
    僧,禮拜す。
    佛法の證驗,正傳の活路,それかくのごとし。
    「常住なればあふぎをつかふべからず,つかはぬをりもかぜをきくべき」といふは,常住をもしらず,風性をもしらぬなり。

    風性は常住なるがゆゑに,佛家の風は,大地の黄金なるを現成せしめ,長河の蘇酪を參熟せり。

    正法眼藏現成公案第一

    これは天福元年中秋のころかきて,鎭西の俗弟子楊光秀にあたふ。
    建長壬子拾勒