Up 「有時」の意味 作成: 2017-09-29
更新: 2017-10-01


    「有時」の考えは,「現成」の考えと同じである。( 「現成公案」)

    「新陳代謝」を考えるとわかりやすい。
    新陳代謝は,数年でカラダが全て入れ替わるといったものである。
    そこで,「カラダ」は何を指しているのかという話になる。
    問われているのは「有」の意味である。
    そしてこの文脈では,「有」は「その都度有る」になる。
    これが「有時」である。

    ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
    川は,<不断にもとの水にあらず>の実現態であり,見えやすい形で「有時」を表している。

    「有時」は,「有」を言えるものなら何にでも適用される概念である。
    盡界にあらゆる盡有は,つらなりながら時時なり」というわけである。

      複雑系科学に「散逸 dissipation 構造」の概念がある。 これは存在構造としての「新陳代謝」の主題化であり,したがって「有時」の主題化になる。


    「有時」は,「無常」の相である。
    一方,「有時」であるから,「現成」であり「常住」である。
    こうして,「有時」「無常」「現成」「常住」がつながる。
    ──これらは,同じことを言っている。


    この「無常」観──「無常=常住」──は,無常の肯定にならねばならない。
    そこで特に,つぎのようになる:
        「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。
         死ぬる時節には死ぬがよく候。
    」(良寛)