Up 「有時」読解 作成: 2017-10-01
更新: 2017-10-05


  • 「有時」
      「有時」は,つぎの存在論である:
         《有は,その都度切り替わる》
      切り替わりは,<一つの有の前と後>を導くのではなく,<別々の有>を導く。
      こうして,「有」は「時」を伴う概念になる。
      ここで,人・物事の有り様を,<時々の有>──「時々」が「別々」を意味するところの<時々の有>──で構成されている (満たされている) と見る。
      そして,人・物事のこの有り様を,「有時」と称する。
      (注意:時々に別々の有一つひとつを「有時」と言うのではない。)
  • 「盡」「盡」
      「有時」は,<時々の有>を回収し,まとめて一つにした様である。
      この「回収し,まとめて一つにする」を,「盡」と言っている。
      有時の盡が「盡有」「盡時」であり,有時に対応の世界や地の盡が「盡界」「盡地」である。
      また盡が何の盡であるか,どんな態の盡かを表す言い回しとして,「界盡」「究盡」「盡力」が出てくる。
      「盡」を説明的に訳せば長いものになるので,訳出では「盡」「盡」をそのまま使うとする。
  • 「経歴」
      人・物事の存り方を「<時々の有>で構成されている」と見る──このように見た人・物事の存り方が「有時」であった。
      文中に出てくる「経歴」は,「構成の経歴」のことである。 ──<時々の有>は,経歴で繋がっている。
      また,文中には「一経」のことばが出てくる。
      「有る時は」を一つひとつ繋いでいるのが「経歴」であるが,「経歴」をこのように区切ったその一つひとつが「一経」である。
      訳出では,「経歴」「一経」の語もそのまま使うとする。
  • 恁麼(いんも)
      これは,禅宗で,ことばにならない真理を指すことば。
      口語にすれば「アレ」ということになるが,訳出ではこの語もそのまま使うとする。
  • 読解の立場
      「解釈・訳出」の意味は,あくまでも「読みやすくする」である。 原義を損なっては,元も子もない。 恣意的な意訳を用いてあやしい訳を無理矢理つくるよりは,わからないところはそのままにしておくのがよい。
  • 参考

古佛言,
有時高高峰頂立,
有時深深海底行。
有時三頭八臂(さんずはっぴ)
有時丈六八尺。
有時挂杖(しゅじょう)拂子(ほっす)
有時露柱燈籠。
有時張三李四,
有時大地虚空。

(いにしえ)の佛の言:
有る時は,高高たる峰頂に立ち,
有る時は,深深たる海底に行く。
有る時は,三頭八臂 (頭が三つ手が八本──鬼神),
有る時は,丈六八尺 (立って一丈六尺座って八尺──仏)。
有る時は,挂杖や拂子,
有る時は,露柱や燈籠。
有る時は,張三や李四(そこらにいるだれかれ)。
有る時は,大地や虚空。
いはゆる有時は,時すでにこれ有なり,有はみな時なり。
丈六金身これ時なり,時なるがゆゑに時の莊嚴光明あり。

「有時」とは,時はすでに有であり,有はみな時であるということだ。
丈六金身 (釈迦) は,時である。
時であるから,時の莊嚴光明がある。
(「釈迦・莊嚴光明」の存在論的本質は,「有時」である。)
いまの十二時に學 すべし。
三頭八臂これ時なり,時なるがゆゑにいまの十二時に一如なるべし。
十二時の長遠短促,いまだ度量せずといへども,これを十二時といふ。
去來の方跡あきらかなるによりて,人これを疑著せず。
疑著せざれどもしれるにあらず。
衆生もとよりしらざる毎物毎事を疑著すること一定せざるがゆゑに,疑著する前程,かならずしもいまの疑著に符合することなし。
ただ疑著しばらく時なるのみなり。
いまの二十四時間に,習学せよ。
三頭八臂 (釈迦) は時である。時であるからいまの二十四時間と同じである。
二十四時間の長さ短さを計測したことがないのに,これを二十四時間という。
「去來」の向跡があきらかなので,人はこれを疑著する (疑い著す) ことをしない。
疑著しないといっても,知っているというのではない。
衆生というものは,知らない物事それぞれを疑著することが一定でないので,疑著の前途 (この先) はかならずしもいまの疑著と一致することはない。
疑著は,しばし時であるのみである。
(「疑著」の存在論的本質は,「有時」である。)
われを排列しおきて,盡界とせり。
この盡界の頭頭物物を,時時なりと覰見すべし。
物物の相礙せざるは,時時の相礙せざるがごとし。
このゆゑに同時發心あり,同心發時あり。
および修行成道もかくのごとし。
われを排列してわれこれをみるなり。
自己の時なる道理,それかくのごとし。
わたしを,時時の列と見立てる。 これを以て,尽界とした。
この尽界の頭頭物物 (要素要素──有有) を,時時であると見よ。(有←時)
有有は互いに独立しているが,それは時時が互いに独立しているのと同じである。
このゆえに,同時の発心があり,同心の發時がある。
(確認 :「このゆえに」は論理の飛躍である──下手に了解しようとしないこと!)
修行成道も,これと同様である。
わたしを(なら)べて,わたしはこれを見るのである。
自己が時であるという道理は,このようである。
(「自己」の存在論的本質は,「有時」である。)
恁麼の道理なるゆゑに,盡地に萬象百草あり。
一草一象おのおの盡地にあることを參學すべし。
かくのごとくの往來は,修行の發足なり。
到恁麼の田地のとき,すなはち一草一象なり,
會象不會象なり,會草不會草なり。
正當恁麼時のみなるがゆゑに,有時みな盡時なり,有草有象ともに時なり。
時時の時に盡有盡界あるなり。
しばらくいまの時にもれたる盡有盡界ありやなしやと觀想すべし。
恁麼の道理ということで,盡地に萬象百草がある。
一草一象がそれぞれ盡地にあることを參学せよ。
このようにあれこれ考えていくことが,修行の始まりである。
到恁麼が田地のときは,すなはち一草一象である。
「一草一象」が本質であるから,象を会わせることは,象が会わないことである。
草を会わせることは,象が会わないことである。(?)
正に恁麼に当たる時のみなのだから,有時はみな盡時である。
有草有象,ともに時である。
時時の時に,盡有・盡界があるのだ。
しばし,いまの時にもれている盡有盡界はありやなしやと,觀想せよ。
しかあるを,佛法をならはざる凡夫の時節にあらゆる見解は,有時のことばをきくにおもはく,あるときは三頭八臂となれりき,あるときは丈六金身となれりき。
たとへば,河をすぎ,山をすぎしがごとくなりと。
いまはその山河たとひあるらめども,われすぎきたりて,いまは玉殿朱樓に處せり。
山河とわれと,天と地となりとおもふ。

こういうことなのに,佛法を習わない凡夫の時節にある見解というものは,「有時」のことばを聞くとつぎのように思うのである: 「あるときは三頭八臂となっていた,あるときは丈六金身となっていた。」
たとえば,河をすぎ山をすぎたのようであると。
「いまもその山河はあるだろうけども,自分はそれを過ぎて来て,いまは玉殿朱樓に居所する。」
山河 -と- われ,天 -と- 地,というふうに,別々のものに思うわけである。
しかあれども,道理この一條のみにあらず。
いはゆる山をのぼり河をわたりし時に,われありき。
われに時あるべし。
われすでにあり。
時さるべからず。
時もし去來の相にあらずは,上山の時は有時の而今なり。
時もし去來の相を保任せば,われに有時の而今ある,これ有時なり。
かの上山渡河の時,この玉殿朱樓の時を呑却せざらんや,吐却せざらんや。

しかし,道理はこれ一つのみではない。
いわゆる山をのぼったり河をわたったりしている時に,わたしは有った。
わたしに時があるのだ。
わたしはすでにある。
よって,「時が去る」ということはない。
時がもし去來の相のものではないとしたら,上山の時は有時の而今である。
時がもし去來の相をとっていれば,わたしに有時の而今がある。これは有時である。
あの上山渡河の時は,この玉殿朱樓の時を呑まないということがあろうか,吐かないということがあろうか。──呑み・吐くのである。
三頭八臂はきのふの時なり,丈六八尺はけふの時なり。
しかあれども,その昨今の道理,ただこれ山のなかに直入して千峰萬峰をみわたす時節なり。すぎぬるにあらず。
三頭八臂も,すなはちわが有時にて一經す。彼方にあるににたれども而今なり。
丈六八尺も,すなはちわが有時にて一經す。彼處にあるににたれども而今なり。

三頭八臂はきのうの時であり,丈六八尺はきょうの時である。
そうであっても,その「昨今」の道理は,ただ「山のなかに直入して千峰萬峰をみわたす」の時節である。 過ぎたのではない。
三頭八臂も,すなわちわたしの有時において,一經する。
──彼方にあるみたいだが,而今である。
丈六八尺も,すなわちわたしの有時において,一經する。
──彼方にあるみたいだが,而今である。
(ここで披瀝しているのは,「有時」という存り方ではどの出来事も今になるというロジックである。)
しかあれば,松も時なり,竹も時なり。
時は飛去するとのみ解會すべからず,飛去は時の能とのみは學すべからず。
時もし飛去に一任せば,間隙ありぬべし。
有時の道を經聞せざるは,すぎぬるとのみ學するによりてなり。
要をとりていはば,盡界にあらゆる盡有は,つらなりながら時時なり。
有時なるによりて吾有時なり。

そうであれば,松も時である。竹も時である。
時は飛去するとのみ解会してはならない。 飛去は時の能とのみ学してはならない。
時がもし飛去に一任しているものなら,間隙があることになる。
(実際には間隙など無いのだから,時は「飛去」で考えてはならないのだ。)
有時の道を経聞してないのは,「過ぎた」とのみ學しているからである。
要点をいえば,盡界にあらゆる盡有は,つらなりながら時時なのである。
有時であることによって,吾有時である。
(「吾有時」に着地させているが,ロジックになっていない。)
有時に經歴の功徳あり。
いはゆる今日より明日に經歴す,今日より昨日に經歴す,昨日より今日に經歴す,今日より今日に經歴す,明日より明日に經歴す。
經歴はそれ時の功徳なるがゆゑに。
有時には,經歴の功徳 (はたらき) がある。
いわゆる今日から明日に經歴し,今日から昨日に經歴し,昨日から今日に經歴し,今日から今日に經歴し,明日から明日に經歴する。
(註 : 有時では,いわゆる「今日・明日・昨日」はみな而今なので,「今日から昨日」のような言い方ができることになる。)
こうなるのは,經歴が時の功徳だからである。
(註 :「有時」の存在論は,「不可逆性」の概念が無い。)
古今の時,かさなれるにあらず,
ならびつもれるにあらざれども,青原も時なり,黄檗も時なり,江西も石頭も時なり。
自他すでに時なるがゆゑに,修證は諸時なり。
古今の時は,重なっているのではない。
並び積もっているのではないが,青原行思も時であり,黄檗希運も時であり,江西の馬祖道一も,石頭希遷も,時である。
自他はすでに時であるから,修證は諸々の時である。
(自他は,時として一如。この時のうちには,青原等の修證も含まれてくる。)
入泥入水おなじく時なり。
いまの凡夫の見,をよび見の因縁,これ凡夫のみるところなりといへども,凡夫の法にあらず, 法しばらく凡夫を因縁せるのみなり。
この時この有は法にあらずと學するがゆゑに,丈六金身はわれにあらずと認ずるなり。
われを丈六金身にあらずとのがれんとする,またすなはち有時の片片なり,未證據者の看看なり。

入泥入水 (泥に入り水に入るように済度) も同じく時である。
いまの凡夫の見,そして見の因縁は,凡夫の見るところだとはいっても,凡夫の法ではない。 法はしばし凡夫を因縁するだけである。
「この時,この有は,法ではない」と學するから,「丈六金身 (仏陀) はわたしではない」と認ずるのである。
「わたしは丈六金身ではない」と逃れようとする。これまた有時の片片である。「未證據者の看看」である。
(「上堂に云く,赤肉団上一無位の真人有り。常に汝等諸人の面門より出入す。未證據者看々」(臨済録) )
いま世界に排列せるむまひつじをあらしむるも,住法位の恁麼なる昇降上下なり。
ねずみも時なり,とらも時なり。
生も時なり,佛も時なり。
いま世界に排列している午(うま),未(ひつじ) をあらしめているのも,<法位に住する>の恁麼であるところの昇降上下である。
子(ねずみ) も時である,寅(とら) も時である。
衆生も時である,仏も時である。
この時,三頭八臂にて盡界を證し,丈六金身にて盡界を證す。
それ盡界をもて盡界を界盡するを,究盡するとはいふなり。
丈六金身をもて丈六金身するを,發心修行菩提涅槃と現成する,すなはち有なり,時なり。
この時なるものは,三頭八臂にて盡界を証し,丈六金身にて盡界を証する。
盡界を以て盡界を界盡することを,究盡するというのである。
丈六金身を以て丈六金身するのを,發心,修行,菩提,涅槃,と現成する。すなはち有であり,時である。
盡時を盡有と究盡するのみ。
さらに剩法なし,剩法これ剩法なるがゆゑに。
たとひ半究盡の有時も,半有時の究盡なり。
たとひ蹉過すとみゆる形段も,有なり。
さらにかれにまかすれば,蹉過の現成する前後ながら,有時の住位なり。
住法位の活地なる,これ有時なり。
盡時を盡有と究盡するのみである。
これよりさらに余剰の法はない。余剰の法は「余剰の法」がその意味なのであるから。
たとえ半究盡の有時でも,半有時の究盡である。
たとえ蹉過しているとみえる形でも,有である。
そしてその調子でいけば,蹉過が現成する前後のままで,有時の住位である。
住法位が活であるのは,有時である。
無と動著すべからず,有と強爲すべからず。
時は一向にすぐるとのみ計功して,未到と解會せず。
解會は時なりといへども,他にひかるる縁なし。
去來と認じて,住位の有時と見徹せる皮袋なし。
いはんや透關の時あらんや。
たとひ住位を認ずとも,たれか既得恁麼の保任を道得せん。
たとひ恁麼と道得せることひさしきを,いまだ面目現前を模せざるなし。
凡夫の有時なるに一任すれば,菩提涅槃もわづかに去來の相のみなる有時なり。
無と動著してはならない。有と強爲してはならない。
「時は一方向にすぎるとだけ」と計功して,「未到」とは解會しない。
解會は時ではあるが,他とつながる縁というのは無い。
「去來」と認ずるばかりで,「住位の有時」と見徹せる者はいない。
まして透關の時などあろうか。
たとひ住位を認ずとも,たれか既得恁麼の保任を道得せん。
たとえ恁麼と道得していることが久しくても,面目現前を模索しないとは未だなっていない。
凡夫が有時であることに気づけば,菩提涅槃といってもわづかに去來の相だけがある有時である。
おほよそ籮籠とどまらず有時現成なり。
いま右界に現成し左方に現成する天王天衆,いまもわが盡力する有時なり。
その餘外にある水陸の衆有時,これわがいま盡力して現成するなり。
冥陽に有時なる諸類諸頭,みなわが盡力現成なり,盡力經歴なり。
わがいま盡力經歴にあらざれば,一法一物も現成することなし,經歴することなしと參學すべし。

一般に,籮(魚籠)・籠(鳥籠) はとどまらず,有時現成である。
いま右界に現成し左方に現成する天王天衆は,いまもわたしが盡力する有時である。
その餘外にある水陸の衆有時,これはわたしがいま盡力して現成するのである。
冥陽に有時である諸類諸頭は,みなわたしの盡力現成であり,盡力經歴である。
《わたしがいま盡力經歴でないのなら,一法一物も現成することがなく,經歴することがない》と參學せよ。
經歴といふは,風雨の東西するがごとく學しきたるべからず。
盡界は,不動轉なるにあらず,不進退なるにあらず,經歴なり。
經歴は,たとへば春のごとし。
春に許多般の樣子あり,これを經歴といふ。
外物なきに經歴すると參學すべし。
たとへば,春の經歴はかならず春を經歴するなり。
經歴は春にあらざれども,春の經歴なるがゆゑに,經歴いま春の時に成道せり。
審細に參來參去すべし。
經歴をいふに,境は外頭にして,能經歴の法は東にむきて百千世界をゆきすぎて,百千劫をふるとおもふは,佛道の參學,これのみを專一にせざるなり。

經歴というのは,「風雨が東西するようなものだ」みたいに學してはならない。
盡界は,不動転なのではない。不進退なのではない。經歴である。
經歴は,たとへば春のようである。
春には多くの種類の樣子があるが,これを經歴という。
外物がなくて經歴するのだと,參學せよ。
たとへば,春の經歴はかならず春を經歴するのである。
經歴それ自体は春ではないけれども,春の經歴であることにより,經歴がいま春の時に成道するのである。
審細に参来参去せよ。
經歴をいうのに,「境は外頭にして,能經歴の法は東にむきて百千世界をゆきすぎて,百千劫をふる」と思うのは,佛道の參学を專一にしていないということである。
藥山弘道大師,ちなみに無際大師の指示によりて江西大寂禪師に參問す。
三乘十二分教,某甲ほぼその宗旨をあきらむ。
如何是祖師西來意(如何ならんか是れ祖師西來意)。

藥山弘道大師が,ちなみに無際大師 (石頭希遷) の指示により江西大寂禪師 (馬祖道一) に參問した。
「三乘十二分教について,それがしはほぼその宗旨を理解しました。
 しかしこの祖師 (達磨大師) 西来の意図(註) は何なのでしょう。」
かくのごとくとふに大寂禪師いはく,
有時教伊揚眉瞬目
有時不教伊揚眉瞬目
有時教伊揚眉瞬目者是
有時教伊揚眉瞬目者不是
( ある時は伊をして眉を揚げ目を瞬かしむ,
ある時は伊をして眉を揚げ目を瞬かしめず。
ある時は伊をして眉を揚げ目を瞬かしむる者是,
ある時は伊をして眉を揚げ目を瞬かしむる者不是なり。)
藥山ききて大悟し,大寂にまうす,
某甲かつて石頭にありし,蚊子の鐵牛にのぼれるがごとし。

このように問うたところ,大寂禪師が言うには,
「有る時は,かれに眉を揚げ目を瞬かせた。
 有る時は,かれに眉を揚げ目を瞬かせなかった。
 有る時は,かれに眉を揚げ目を瞬かせることが()であった。
 有る時は,かれに眉を揚げ目を瞬かせることが是でなかった。」
  (かれ:釈尊)
藥山はこれを聞いて大悟し,大寂に言った:
「それがしはかつて石頭希遷禅師のところにいましたが,蚊が鉄牛にのぼっているようなものでした。」
大寂の道取するところ,餘者とおなじからず。
眉目は山海なるべし,山海は眉目なるゆゑに。
その教伊揚は山をみるべし,その教伊瞬は海を宗すべし。
是は伊に慣習せり,伊は教に誘引せらる。
不是は不教伊にあらず,不教伊は不是にあらず,これらともに有時なり。

大寂が道取するところは,他の者と同じではない。
眉目は山海であるべし──山海は眉目であるから。
その「教伊揚 (伊をして揚げ()む)」は,山を見るべし,その「教伊瞬 (伊をして瞬か()む)」は,海を宗するべし。
「是」は,かれに慣習した。かれは「教」に誘引された。
「不是」は「不教伊」ではない。「不教伊」は「不是」ではない。これらはともに有時である。
山も時なり,海も時なり。
時にあらざれば山海あるべからず,山海の而今に時あらずとすべからず。
時もし壞すれば山海も壞す,時もし不壞なれば山海も不壞なり。
この道理に,明星出現す,如來出現す,眼睛出現す,拈花出現す。
これ時なり。
時にあらざれば不恁麼なり。

山も時であり,海も時である。
時でなければ山海は有ることがない。「山海の而今に時などはない」と思ってはならない。
時がもし壞れたら山海も壞れる。逆に,時がもし壊れなければ山海も壊れない。
この道理を以て,明星は出現し,如來は出現し,眼睛 (仏祖) は出現し, 「拈花」は出現する。
これは時である。
実際,時でなければ,不恁麼である。
(Cf.「眼睛」(95巻本63巻, 75巻本58巻) )
葉縣の歸省禪師は臨濟の法孫なり,首山の嫡嗣なり。
あるとき大衆にしめしていはく,
 有時意到句不到(有る時は意到りて句到らず),
 有時句到意不到(有る時は句到りて意到らず)。
 有時意句兩倶到(有る時は意句兩つ倶に到る),
 有時意句倶不到(有る時は意句倶到らず)。
意句ともに有時なり,到不到ともに有時なり。

葉県の歸省禪師は,臨濟の法孫であり,首山省念の嫡嗣である。
あるとき大衆に示して言うのには,
 「有る時は,意が到って句 (ことば) が到らない。
  有る時は,句が到って意が到らない。
  有る時は,意句両方がともに到る。
  有る時は,意句ともに到らない。」
意句ともに有時であり,到・不到ともに有時である。
到時未了なりといへども不到時來なり。
意は驢なり,句は馬なり。
馬を句とし,驢を意とせり。
到それ來にあらず,不到これ未にあらず。
有時かくのごとくなり。
「驢事未去,馬事到来」(霊雲) ──到時がまだ終わってなくても不到時がやって来る。
「意句」は「驢馬」と対応する──意は驢であり,句は馬である。
馬を句とし,驢を意とした。
「到」は「來」ではなく,「不到」は「未」ではない。
有時とは,このようなものである。
到は到に罣礙せられて不到に罣礙せられず。
不到は不到に罣礙せられて到に罣礙せられず。

「到」は,「到に罣礙されていて,不到に罣礙されていない」である。
「不到」は,「不到に罣礙されていて,到に罣礙されていない」である。
意は意をさへ,意をみる。
句は句をさへ,句をみる。
礙は礙をさへ,礙をみる。
礙は礙を礙するなり,これ時なり。
意は意を()へ,意をみる。(礙へる:罣礙する)
句は句を礙へ,句をみる。
礙は礙を礙へ,礙をみる。
礙は礙を礙するのである。これは時である。
礙は他法に使得せらるるといへども,他法を礙する礙いまだあらざるなり。
我逢人なり,人逢人なり,我逢我なり,出逢出なり。
これらもし時をえざるには,恁麼ならざるなり。

礙は他法に使得させられているとはいっても,他法を礙する礙は未だないのである。
「我逢人」であり,「人逢人」であり,「我逢我」であり,「出逢出」である。
これらがもし時をもたない場合には,恁麼ではないのである。
(引用元 :「鎮州三聖院慧然禅師道,我逢人即出,出即不為人,興化道,我逢人即不出,出即便為人」)
又,意は現成公案の時なり,句は向上關棙の時なり。
到は脱體の時なり,不到は即此離此の時なり。
かくのごとく辨肯すべし,有時すべし。
また,意は現成公案の時であり,句は向上關棙の時である。
到は「脱體」の時であり,不到は「即此離此」の時である。
このように了解せよ,有時せよ。
(引用元 :「(馬)祖,師 (百丈) の来るのを見て,禅牀角頭の払子を取りて,堅起す。師云く,即此用,離此用」)
向來の尊宿ともに恁麼いふとも,さらに道取すべきところなからんや。
いふべし
意句半到也有時,
意句半不到也有時。

向来の尊宿ともに恁麼といっても,さらに道取するところはないだろうか。
このようにいうべし:
 「意句が<到>半ばなのも,有時,
  意句が<不到半ばなのも,有時。」
かくのごとく參究あるべきなり。
教伊揚眉瞬目也半有時,
教伊揚眉瞬目也錯有時,
不教伊揚眉瞬目也錯錯有時。

このように參究はあるべきなのである。
 「<教伊揚眉瞬目也半>は,有時,
  <教伊揚眉瞬目也錯>は,有時,
  <不<教伊揚眉瞬目也錯>錯>は,有時。」
恁麼のごとく參來參去,參到參不到する,有時の時なり。 恁麼のように參來參去,參到參不到するというのは,有時の時なのである。
正法眼藏有時第二十

仁治元年庚子開冬日書于興聖寶林寺
元癸卯夏安居書寫 懷弉



    註. 道元『真字正法眼蔵』「序」
       ( 引用元:つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉)
    正法眼蔵、大師釈尊已拈挙矣、拈得尽也未、直得二千一百八十余歳、法子法孫、近流遠派、幾箇万万、前後三三、諸人要明来由麼、
    昔日霊山百万衆前、世尊拈花瞬目、迦葉破顔微笑、当時世尊開演之曰、吾有正法眼蔵涅槃妙心、附属摩訶大迦葉、
    迦葉直下二十八代菩提達磨尊者、親到少林、面壁九年、撥草瞻風、附随、震旦之伝、肇于之也、
    六代曹谿得青原南嶽、師勝資強、嫡嫡相嗣、正法眼蔵不昧本来、
    祖祖開明之者三百箇則、今之有也、代以得人、古之美也
     正しい仏法とは、偉大なる師である釈迦牟尼世尊が既に採り上げておられるが、採り上げ尽くされたのだろうか、まだだろうか。直に、(釈尊から)2180年あまりが経つ、直弟子や孫弟子、釈尊に近き者も遠き者も、幾万となく、前後に数は知れない。諸君よ、この(釈尊の教えが)正しく伝えられてきた由来を明らかにしたいと思うか。
     むかし、霊山にいる百万の大衆を前に、世尊は花をつまんで瞬目された、迦葉は顔を崩し微笑まれた。そのときに、世尊は(大衆に)明らかにして云った「吾に『正法眼蔵涅槃妙心』がある。摩訶大迦葉に附属する」と。
    迦葉から直接に二十八代下って菩提達磨尊者は、自ら少林に到って、面壁九年して、草をはらい、風を見ることで、(慧可に)附属して中国に「正法眼蔵」が初めて伝わったのである。
    六代の曹谿慧能は青原(行思)と南嶽(懐譲)を得た。師が勝れ、弟子も強く、正しく相嗣いで、正法眼蔵は、本来の姿をくらますことがなかった。
    (中国の)祖師方が明らかにした、三百則の公案は、今のこれである。代々人を得ることをもって、古の見事なものである。