Up 「色即是空 空即是色」は,存在階層論 作成: 2014-10-21
更新: 2014-10-22


    「色即是空 空即是色」の読み方は,つぎのようになる:
      「色即是空」:「色は,空を含意する」
      「空即是色」:「空は,色の必要条件」

    「色即是空」の「即是」は,形式論理で謂う「含意 (implication)」である。
    一方,「空即是色」の「即是」の方は,そうではない。
    即ち,「空即是色」は,「色即是空」とは別のことを言っているのではない。
    「色即是空」を「空即是色」の言い方で繰り返しているのである。
    実際,「空即是色 色即是空」とはならない (「色即是空」と「「空即是色」の順序はひっくり返せない) わけである。


    「空」とは,実体がないということである。
    「色即是空 空即是色」は,事物 (存在) を非実体とする存在論である。
    この存在論は,「空観(くうがん)」と呼ばれる。

    <非実体>は,観念論ではない。
    物理学が明らかにする「存在のマクロ・ミクロ階層性」は,事物 (存在) を非実体として示すものである:
      雲は,水の粒 (個) がつくる雲 (系) である。
      水の粒は,水の分子 (個) がつくる雲 (系) である。
      存在は「雲 (系−個)」の構造をとる。
    そして,「空性」の<非実体>は,この「存在のマクロ・ミクロ階層性」の<非実体>と同じものである。


    こうして,「色即是空 空即是色」のテクストはつぎのように読まれるものである:

      色不異空 空不異色 現象は,空性である。
      それが空性であるからこそ,人間にとって,現象が立つ。
      色即是空 空即是色
      受想行識 亦復如是 受想行識は,空性である。
      それが空性であるからこそ,人間にとって,受想行識が立つ。
       
      是諸法 空相 事物は,空性である。
       不生不滅  空性であるから,もとより生も滅も立たない。
      (人間が,「生・滅」を立てる。)
       不垢不浄  空性であるから,もとより垢も浄も立たない。
      (人間が,「垢・浄」を立てる。)
       不増不減 空性であるから,もとより増も減も立たない。
      (人間が,「増・減」を立てる。)
       
      是故 こういうわけで、
      空中 存在の空性に拠り、
       無色 「現象」というものは,ない。
      (人間が,「現象」を立てる。)
       無受想行識 「受想行識」というものは,ない。
      (人間が,「受想行識」を立てる。)
       無眼耳鼻舌身意 「眼耳鼻舌身意」というものは,ない。
      (人間が,「眼耳鼻舌身意」を立てる。)
       無色聲香味觸法 「色聲香味觸法」というものは,ない。
      (人間が,「色聲香味觸法」を立てる。)
       無眼界 乃至 無意識界 「眼界」というものは,ない。
      「意識界」というものは,ない。
      (人間が,「眼界」「意識界」を立てる。)
       無無明 亦 無無明盡 「無明」という位相は,ない。
      またその逆のことになる「無明がなくなる」という位相も,ない。
      (人間が,「無明」「無明がなくなる」を立てる。)
       乃至  あわせて,
       無老死 亦 無老死盡 「老死」という位相は,ない。
      またその逆のことになる「老死がなくなる」という位相も,ない。
      (人間が,「老死」「老死がなくなる」を立てる。)
       無苦集滅道  「苦集滅道」という位相は,ない。
      (人間が,「苦集滅道」を立てる。)
       無智 亦 無得 「智」という位相は,ない。
      また「得」という位相も,ない。
      (人間が,「智」「得」を立てる。)


    よくよく留意すべきは,ここには何ら宗教も観念論 (形而上学) もないということである。
    空観は,つぎのように説くところの存在論である:
      存在論は,人間の視点・スケールで事物を解釈するから,実体論になる。
      人間の視点・スケールを相対化すれば,実体は無くなる。」
    そして物理学が,人間の視点・スケールが相対化される形を,「存在のマクロ・ミクロ階層構造」として示してきたというわけである。