Up 「寒山拾得」 作成: 2020-02-12
更新: 2020-02-13


      森鴎外『寒山拾得』
     ‥‥
    あなたはどちらのお方か、それを伺っておきたいのですが」
    「これまでおったところでございますか。それは天台の国清寺で」
    「はあ。天台におられたのですな。お名は」
    豊干ぶかんと申します」
    「天台国清寺の豊干とおっしゃる」閭はしっかりおぼえておこうと努力するように、眉をひそめた。「わたしもこれから台州へ往くものであってみれば、ことさらお懐かしい。ついでだから伺いたいが、台州には逢いに往ってためになるような、えらい人はおられませんかな」
    「さようでございます。国清寺に拾得じっとくと申すものがおります。実は普賢ふげんでございます。それから寺の西の方に、寒巌という石窟せきくつがあって、そこに寒山かんざんと申すものがおります。実は文殊もんじゅでございます。さようならおいとまをいたします」こう言ってしまって、ついと出て行った。
     こういう因縁があるので、閭は天台の国清寺をさして出かけるのである。

     ‥‥ 無頓着な人と、道を求める人との中間に、道というものの存在を客観的に認めていて、それに対して全く無頓着だというわけでもなく、さればと言ってみずから進んで道を求めるでもなく、自分をば道に疎遠な人だと諦念あきらめ、 別に道に親密な人がいるように思って、それを尊敬する人がある。尊敬はどの種類の人にもあるが、単に同じ対象を尊敬する場合を顧慮して言ってみると、道を 求める人なら遅れているものが進んでいるものを尊敬することになり、ここに言う中間人物なら、自分のわからぬもの、会得することの出来ぬものを尊敬するこ とになる。そこに盲目の尊敬が生ずる。盲目の尊敬では、たまたまそれをさし向ける対象が正鵠せいこくを得ていても、なんにもならぬのである。

     ‥‥
     閭はせわしげにあき家を出た。そしてあとからついて来る道翹に言った。「拾得じっとくという僧はまだ当寺におられますか」
     道翹は不審らしく閭の顏を見た。「よくご存じでございます。先刻あちらのくりやで、寒山と申すものと火に当っておりましたから、ご用がおありなさるなら、呼び寄せましょうか」
    「ははあ。寒山も来ておられますか。それは願ってもないことです。どうぞご苦労ついでに厨にご案内を願いましょう」
    「承知いたしました」と言って、道翹は本堂について西へ歩いて行く。
     閭が背後うしろから問うた。「拾得さんはいつごろから当寺におられますか」
    「もうよほど久しいことでございます。あれは豊干さんが松林の中から拾って帰られた捨て子でございます」
    「はあ。そして当寺では何をしておられますか」
    「拾われて参ってから三年ほど立ちましたとき、食堂じきどうで上座の像に香を上げたり、燈明を上げたり、そのほかそなえものをさせたりいたしましたそうでございます。そのうちある日上座の像に食事を供えておいて、自分が向き合って一しょに食べているのを見つけられましたそうでございます。賓頭盧尊者びんずるそんじゃの像がどれだけ尊いものか存ぜずにいたしたことと見えます。唯今ただいまでは厨で僧どもの食器を洗わせております」
    「はあ」と言って、閭は二足三足歩いてから問うた。「それから唯今寒山とおっしゃったが、それはどういう方ですか」
    「寒山でございますか。これは当寺から西の方の寒巌と申す石窟に住んでおりますものでございます。拾得が食器をあらいますとき、残っている飯や菜を竹の筒に入れて取っておきますと、寒山はそれをもらいに参るのでございます」
    「なるほど」と言って、閭はついて行く。心のうちでは、そんなことをしている寒山、拾得が文殊もんじゅ普賢ふげんなら、虎にった豊干はなんだろうなどと、田舎者が芝居を見て、どの役がどの俳優かと思い惑うときのような気分になっているのである。

    「はなはだむさくるしい所で」と言いつつ、道翹は閭を厨のうちに連れ込んだ。
     ‥‥
     このとき道翹が奧の方へ向いて、「おい、拾得」と呼びかけた。
     閭がその視線をたどって、入口から一番遠い竈の前を見ると、そこに二人の僧のうずくまって火に当っているのが見えた。
     一人は髪の二三寸伸びた頭をき出して、足には草履をはいている。今一人は木の皮で編んだ帽をかぶって、足には木履ぼくりをはいている。どちらもせてみすぼらしい小男で、豊干のような大男ではない。
     道翹が呼びかけたとき、頭を剥き出した方は振り向いてにやりと笑ったが、返事はしなかった。これが拾得だと見える。帽をかぶった方は身動きもしない。これが寒山なのであろう。
     閭はこう見当をつけて二人のそばへ進み寄った。そして袖をき合わせてうやうやしく礼をして、「朝儀大夫、使持節、台州の主簿、上柱国、賜緋魚袋しひぎょたい、閭丘胤きゅういんと申すものでございます」と名のった。
     二人は同時に閭を一目見た。それから二人で顏を見合わせて腹の底からこみ上げて来るような笑い声を出したかと思うと、一しょに立ち上がって、厨を駆け出して逃げた。逃げしなに寒山が「豊干がしゃべったな」と言ったのが聞えた。
     驚いてあとを見送っている閭が周囲には、飯や菜や汁を盛っていた僧らが、ぞろぞろと来てたかった。道翹は真蒼まっさおな顏をして立ちすくんでいた。


    科学・技術の進歩は,人の理性の進歩を含むように見えるが,そうでもない。
    理由は,忙しさということにしておこう。
    理性の主体になるには,修行に時間をかけねばならない。
    忙しいので,これはおろそかにされる。

    このとき,理性の代わりになるものが,《(かみ)を定め,上のことばをいただく》である。
    上が大事と言ってくるものを,自分の大事にする。

    その上は,マスメディアであったり,師であったり,である。
    この上は,寒山・拾得を文殊・普賢だ言ってくる。
    そこでひとは,寒山・拾得を文殊・普賢のことにする。
    こういうわけで,人の理性は時代が変わっても相変わらず,となるわけである。


    ひとが上とするものは,「個の多様性」の分だけ多用である。
    こうして世の中は,様々な寒山・拾得で溢れかえる。

    情報化社会は,この《様々な寒山・拾得で溢れかえる》をブラウズできる社会である。
    「情報リテラシー」とは,寒山・拾得のゴミ山から文殊・普賢を見出す能力のことを謂っていることになるが,文殊・普賢を見出すのはリテラシーなぞではない。 ──理性である。
    ここにも,勘違いがある。
    「リテラシー」も,豊干が悪戯で言うことばの類である。


    文殊・普賢にされた寒山・拾得は,学術界にも溢れている。
    学術界が理性のありどころのように思われているとしたら,それはとんだ思い違いである。
    実際,学術界はむしろ,理性がひどく危うくなるところである。
    師弟関係ができてしまうからである。
    師弟関係では,学生において<刷り込み imprinting>が起こる。
    師のその場の思いつき・気紛れのことばが,学生の信念体系をつくってしまうことにもなる。

    ちなみに禅は,この構造に対する警戒そのものを方法論にした仏教一派であった:
      『臨済録』「示衆」
    世 出世 諸法、皆 無 自性、亦無 生性。
    但有 空名、名字 亦 空。
    你 (zhī)麼 認 他閑名 爲 實。
    大錯了也。

    世[世俗]・出世の諸法は、皆な自性無く、亦た生性無し。
    但だ空名有るのみ、名字も亦た空なり。
    (なんじ)祇麼(ひたす)()の閑名を認めて実と為す。
    大いに錯了(あやまれり)

    『禅とは何か』