Up 人間が主題の幻想論の場合 作成: 2018-09-29
更新: 2018-09-29


    本論考が主題化する「生物A」は,「人間」である。
    人間は,人間以外の生物とずいぶん違っている感じがする。
    この「ずいぶん違っている」は,「社会性動物」の概念を間に挟むと,距離が縮まる。

    社会性動物は,「公のため」という行動タイプを現す。
    アリがミミズとずいぶん違って見えるところは,ここである。
    またある種の社会性動物は,「栄達のため」という行動タイプを現す。
    例えば,トド。

    人間の場合は,さらに「義のため」が加わる。


    「公のため」「栄達のため」「義のため」は,「公のための自己犠牲・同族殺し」「自分の栄達のための同族殺し」「義の栄達のための同族殺し」を含む。
    そしてこれらは,複合する。
    このとき,社会性動物は,命の値段がすごく安く見える。

    特に「義」が危険なものになる。
    恣意的だからである。
    これが,殺す・殺されるの合理化に用いられる。
    このとき,命の値段は最も安くなる。
    例えば,共産主義革命の死屍累累は,共産主義体制が成ってからの粛清 (義を装う戦い) において桁違いになる。
    明治維新も,倒幕の戦いよりも,新政権樹立での仲違い (義を装う戦い) で,多くの死者を出す。


    人間が主題の幻想論は,ここで挙げた「公」「栄達」「義」が幻想の大カテゴリーになる。
    本論考は,このカテゴリーの網羅を立場とする。
    一方,「義」に重点をおく。
    人間を誤らせ危うくする幻想はこれがいちばん,ということで。