Up 鬼<和人> 作成: 2018-11-12
更新: 2018-11-12


  戸塚美波子 (1971)
 ‥‥
この広大なる北海道の大地に
君臨していたアイヌ
自由に生きていたアイヌ
 ‥‥
人と人とが 殺し合うこともなく
大自然に添って 自然のままに
生きていたアイヌ
この大地は まさしく
彼ら アイヌの物であった
侵略されるまでは───

ある日 突然
見知らぬ人間が
彼らの 目の前に現われた
人を疑わねアイヌは
彼ら和人を もてなし
道先案内人となった

しかし──
和人は 部落の若い女たちを
かたっばしから連れ去ったうえ
凌辱したのだ──

そして 男たちを
漁場へと連れて行き
休むひまなく
働かせた

若い女たちは
恋人とも 引さ離され
和人の子を身寵ると
腹を蹴られ流産させられた
そして 多くの女たちは
血にまみれて 息絶えた

男たちは
妻 子 恋人とも
遠く離れ
重労働で疲れ果てた体を
病いに冒され
故郷に 送り返された
その道すがら
妻を 子を 恋人の名を
呼びつつ
死出の旅へと発った
 ‥‥
真っ赤な
どろりとした血
かって 侵略されるまで
いや この大地が
アイヌの天地で あったとき
けっして流れたことのなかった
その血

それ以後 絶えまなく
地中へと 吸い取られていった
 ‥‥

    メルヘンは,己を限りなく善にするために,限りなく悪の鬼を立てる。
    限りない善が滅ぶ理不尽は,限りない悪を以て説明されねばならないわけである。


    実際は,アイヌも人と人とが殺し合い,血を流す:
       河野本道 (1996), pp. 119-124
    口頭伝承にもとづく地域集団間の対立関係例表示一覧表
    地域集団間の対立関係対立要因
    1 カフカイ(礼文島)──天塩または増毛報復
    2 香深井・利尻──磯谷 
    3 天塩──北見 
    4 上川──北見川の幸・山の幸略奪
    5 上川または石狩──十勝 
    6 石狩──十勝天産略奪
    7 石狩──釧路方面 
    8 イシカリ──ルルモックペ宝物略奪
    9 余市天内山──日高・十勝方面 
    10 余市・忍路──小樽 
    11 イヨチ──沙流付近 
    12 虻田──有珠 
    13 伊達──有珠 
    14 室蘭──日高 
    15 勇払──千歳 
    16 門別──〈シャクシャイン〉・うら川 
    17 門別──釧路 
    18 平取──ユプツ・クスロ 
    19 平取──十勝・釧路方面 
    20 平取──十勝地方略奪
    21 平取──十勝宝物略奪
    22 ピパウシ(平取二風谷)──十勝宝物略奪
    23 静内御殿山(〈鬼ひし〉)──〈シャクシャイン〉 
    24 静内炭山沢入口
    (〈鬼ひし〉)
    ──〈シャクシャイン〉 
    25 静内農屋──十勝 
    26 静内──十勝 
    27 〈鬼ひし〉──静内入舟(〈シャクシャイン〉) 
    28 静内東静内──椚別 
    29 浦河──トカチ 
    30 様似──トカチ利剣略奪
    31 広尾──北見 
    32 幕別(猿別)──日高 
    33 豊頃安骨──釧路 
    34 豊頃安骨──日高 
    35 豊頃旅来──北見・根室 
    36 豊頃旅来──日高 
    37 豊頃──日高 
    38 旅来──十勝太漁場侵害
    39 浦幌乙部──白糠・釧路宝物略奪
    40 浦幌乙部──北見 
    41 本別──釧路 
    42 本別──釧路・北見 
    43 本別仙美里──クシロ 
    44 本別仙美里──日高または厚岸 
    45 本別仙美里──十勝 
    46 足寄──釧路方面 
    47 陸別──釧路 
    48 陸別(十勝)──釧路・厚岸(十勝)宝物略奪
    49 十勝(陸別〈カネラン〉)──厚岸(〈シュマンベクル〉)もの取り
    50 白糠──厚岸宝物略奪
    51 阿寒(庶路)・(シヅナイ)──十勝娘奪い
    52 阿寒──厚岸・根室宝物略奪
    53 釧路──十勝・厚岸・根室 
    54 釧路──十勝・厚岸・根室 
    55 クスリ──ウラスベツ報復
    56 釧路──クスリの奥資源略奪
    57 釧路──厚岸漁場侵害
    58 釧路──厚岸 
    59 釧路──厚岸・根室宝物略奪
    60 釧路──アッケシ・ネモロ 
    61 釧路──斜里・網走・常呂・
    美幌・北見・湧別
    宝物略奪
    62 昆布森・厚岸・霧多布──北見鎧略奪
    63 標茶──舎利・根室 
    64 厚岸──屈斜路・阿寒・塘路・網走食糧確保
    65 標津──北見財宝略奪
    66 網走──湧別・紋別宝物略奪
    67 佐呂間──斜里 
    68 佐呂間──トコロ 
    69 佐呂間・常呂──湧別 
    70 常呂(北見)──斜里・十勝 
    71 遠軽(北見)──十勝 
    72 遠軽(湧別)──上川・十勝猟場侵害
    73 紋別──日高猟場侵害・報復
    74 国後・目梨──美幌 
    75 国後・目梨──美幌 
    76 くなしり──釧路宝物略奪
    77 クリル──根室宝物略奪・奴僕略奪
    78 〔クルムセ (クルンセ)〕──クナシリ・ハボマイ・
    ネムオロベシ・厚岸・釧路・
    (遠矢)・北見・十勝・ピエイ
     


    つぎの伝承 (ストーリーがつながる程度に引用) は,表中の「ピパウシ(平取二風谷) ── 十勝 宝物略奪」に対応するものである:
      川上勇治 (1976), 「コタンの妖刀」(pp.9-28)
     ‥‥‥
     お婆さんの見た外の光景は、非常に恐しいものであった。白い雪明りと、遅く出た半月の明りの中で、今まで見たこともない大勢の異様な風体の男や女、老人、子供までが加わり大きな円陣を作っていた。‥‥‥お婆さんは彼らの動作や風体を見て、すぐトパット゚ミ (夜襲) だと判断した。
     トパット゚ミとは沙流以外のたとえば十勝とか石狩とかのひとつの大きな部族が、一族を引連れて攻め寄せ、ねらいをつけたコタンに焼討ちをかけ皆殺しにして、そのコタンを占領し住みついたり、または宝物をうばい取り、ピリカメノコ (美人) がいると連去ったり、いわばこれは、アイヌ間の戦争であった。だからアイヌたちはこの戦争にそなえて、各地にチャシ (とりで) を築いて常時見張りを続けたとのことである。女や子供を連れているということは、多分うばい取った宝物やその他の物を運搬するのに、一人でも多くを必要としたからだと思われる。
     ‥‥‥
     オッテナはみんなの意見や、長老の話を聞き、いちいちうなずいていたが、やがて決断したのかやおら立ち上り「もうぽつぽつ夜明けだ。お婆さんの話によると彼らは大体三十人位だ。年寄りや女子供がまじっているので、あまり遠くまで逃げていない。これから追討ちをかけひとり残らず討ちとらなければ、これから先何度もこのように攻めて来られたら大変だ。‥‥‥ イワンチシリのチャシまで急いで先まわりして、奴らが川伝いに逃げるのを待伏せしてひとり残らず矢で射殺してしまえ」と命令した。
    総勢十人ほどの足の早い屈強な男たちが、弓矢刀などを持ち、勇んでポロチセから飛んで出て行った。
     ‥‥‥
    このチャシでトパット゚ミ隊の三分の一の男たちが矢で射殺されたが、その他の連中は、なおも沙流川の奥へ奥へと逃げて行く。
     ‥‥‥
    ポロサルのアイヌたちは味方の矢傷の手当をしたり、負傷者をコタンへ連れて帰るため、戦いを一時中止し、逃げるトパット゚ミ隊を追わないことにした。
     そのうちにチャシの近くに、三人の屈強なアイヌがあらわれ、‥‥‥ポロサルのアイヌたちは負傷者を連れて全員がコタンへ帰ることになり、三人だけがトパット゚ミ隊の後を追うことになった。
     ‥‥‥
     イワナイという沢の近くに来た時、三人はトパット゚ミ隊の足跡のみだれを発見した。おかしいと思い注意しながらなおも進んで行くと、ある小沢のくぼみに、新しい松の枝が積み重ねてあった。 不思議に思い、この松葉を取りのぞいてみるとひとりの女の死体が出て来た。調べてみると、この女は妊娠しておりもう臨月らしい様子であった。女はトパット゚ミの仲間である。‥‥‥
     三人のアイヌたちはここでカムイノミをした。この女の死体の乳房を切り取りそれぞれ一口ずつ呑みこんで、そのあと、もし気分が悪くなりもどすようなことがあれば、その者は武連がなく、無事にコタンに帰ることが出来ないのである。また、もどさなかった者は心配ないことなので、呑みこむ前に無事を神に祈るのである。これは一種の占いのようなものだと思うが、アイヌの伝説のなかにはよくこのような話が出てくる。
     三人のアイヌたちもこれを行なったのである。三人は女の乳房の肉を切り取り、それぞれひとくちずつ呑みこんだ。するとまもなく三人のうちの一人が気分が悪くなり、ニ人の目の前で真赤な生肉をはき出した。このはき出した人はペナコリから行ったアイヌだということである。
     ‥‥‥
    ウサップの森林を過ぎると前方に大勢のトパット゚ミたちが先を急いでいるのを発見した。イワンチシリで討死した残りのトパット゚ミたちである。女や子供を含めて約二十人である。‥‥‥
    この場所で十人あまりのトパット゚ミたちが矢で射殺されたということである。
     ‥‥‥
     生き残ったトパット゚ミ隊は、なおもチロロ(千栄)を通り過ぎ沙流川の本流の奥へ奥へと逃げて行った。 三人のアイヌたちは再び追いかけ始めた。
    古老たちの話によると、このトパット゚ミに来た連中は一人残らず殺してしまわなければならないと言う。 なぜなら、トパット゚ミ隊の子孫が一人でも生き残るとあとで必ず仇討に攻め寄せて来るので、後難を恐れるアイヌたちはたとえ子供や女でもすべて殺してしまったということである。
     ‥‥‥
     とど松、えぞ松、だけ樺、真樺の原始林の山の中腹あたりの斜面を横切り、三人のアイヌたちは固雪の上を風のように走っていた。まもなくトパット゚ミ隊に追いついた三人は、残ったトパット゚ミたちを情け容赦もなく斬りまくった。日勝峠近く日暮れ時のことである。
     トパット゚ミの者もなかなかうでのたつのがいて勇敢に戦ったが、とうてい三人のアイヌの敵ではなかった。あとで恨みを残さぬため、女も子供も老人も残っているものは全員殺さなければならない。男たちの戦う怒声と女子供の泣きさけぶ悲鳴があたりの山々にこだまし、白い雪の上一面に真赤な血をそめて戦いは終った。
     ‥‥‥
     アイヌの伝説によれば、戦いのいかなる場面においても必ず仲間の一人か二人を逃して自分たちの味方に連絡するということである。この戦いの場合、トパット゚ミの側も二人が落ちのび、一心に日勝峠のはい松の中をくぐり抜けて十勝の方へ逃げのびたのである。三人のアイヌたちは戦い終ってほっと一息ついたとき、二人の足あとが峠の方へ続いているのにふと気がついた。 今日はチロロあたりまで下って帰路につこうかと考えていたが、たとえ一人でも逃げのびれば、何日か後に援軍を引連れて仇討に攻め寄せて来る恐れがあるので、また引続き翌朝から追跡することにした。
     ‥‥‥
     固雪の上を歩くことにかけてはすばらしい速度を誇る三人は、疾風のように十勝原野をめざして走っていた。太陽が空の真中を通り幾分西にかたむいた頃、雪原の彼方にポツン、ポツンと、五、六軒のアイヌ・チセがたち並んでいるのを発見した。三人のアイヌたちは用心してコタンの近くの萱原でかくれて日の暮れるのを待ち、様子を見ることにした。
     ‥‥‥
     三人のアイヌのうちの一人が、チセの内部を探るため屋根の上まで身軽に飛び上り、リクンスイ (煙出し窓) から中をのぞきこんだ。いるわ、いるわ、大勢のアイヌが協議のまっ最中である。
     その時リタンスイのあたりに異様な気配を感じたチセの中の一人のアイヌが、すばやく弓に矢をつがえ、リクンスイから顔をのぞかせたアイヌに矢を射た。矢は正確にアイヌの目に命中し、異様なうめき声を上げて屋根から地上へ転落した。下でこれを見ていた二人は怒りに燃え、一人はロルンプヤル (東測の窓) から、一人はセム (家の入口の空間) のある入口から万を振りかざしてチセの中へ乱入した。そうして手当り次第斬って斬って斬りまくった。せまいチセの中で二人は自由にあばれることが出来たが、チセの中にいた人たちは手出しも何も出来ないうちに皆殺しにされてしまった。
     戦いすんで目をやられたアイヌを介抱しようとしたが、時すでに遅く矢の毒が全身にまわり手のほどこしょうもなく息を引きとった。先に書いたように、女の死体の乳房を呑んではき出した時すでにこのアイヌの運命は決まっていたのである。
     二人はまったく人影のなくなったコタンのチセ全部に火をつけて焼き払い、帰路につくことになった。
     ‥‥‥


    そもそも,「人と人とが殺し合うことなく」が嘘であることは,ユカル (英雄伝) を思い浮かべれば,簡単にわかることである。
    ユカルは,全編が人と人の殺し合いの話である。



  • 引用文献
    • 戸塚美波子 (1971) :「詩 血となみだの大地」
        旭川人権擁護委員連合会『コタンの痕跡──アイヌ人権史の一断面』, 1971, pp.95-107.
    • 河野本道 (1996) :『アイヌ史/概説』, 北海道出版企画センター, 1996.
    • 川上勇治 (1976) :『サマウンクル物語』, すずさわ書店, 1976.