Up 進歩主義知識人 :「知行合一」 作成: 2018-10-04
更新: 2018-10-04


    人は,自分のようではない者に苛立つようにできている。
    そして,自分のような者はいない。

    進歩主義知識人は,同業者が自分のようでないことに苛立つ。
    そして,「自分のようでない」を「進歩的でない」に解釈する。

    彼は,自分が他とは違うことを示したくなる。
    こうして,自分の進歩的構えのデモンストレーションとなる。
    このとき彼が「進歩的構え」とするものは,「実践に向かう構え」である。
    彼は,「知行合一」を説く者になる。

    「知行合一」の「知」の方は,現前ものである。
    彼の作業は,「行」を案出することである。

    「行」を案出した彼は,それのアジテーターになる。
    進歩主義知識人は,自分の役割を,「行」の実践者ではなく,「知行合一」のアジテーターに最初から定める者だからである。


    進歩主義知識人はこのとき,「攪乱」として人の系の運動に与る。
    これが,進歩主義知識人の存在意義である。

    「個の多様性」には,進歩主義知識人がつねに一定割合で現れることが含蓄されている。
    よって,人の系はつねに攪乱されることになる。
    そしてこれは,系が運動の減衰を免れ,死なずに済んでいるということである。


    進歩主義知識人がすることは,あくまでも「攪乱」である。
    進歩をもたらすことではない。
    実際,「進歩」は目指して成ることではない。
    「進歩」は,想定していない副産物である。

    進歩主義知識人の「攪乱」がひとにもたらすものは,「災難」である。
    実際,「災難」だからこそ「攪乱」なのである。

      文科省の『学習指導要領』は,およそ十年ごとに改変される。
      これは,十年ごとに生徒が被る「災難」の内容が改変されるということである。
      ──「現代化」「ゆとり」「基礎基本」「グローバル化」‥‥