Up 人類学者の不能 作成: 2018-10-02
更新: 2018-10-02


    民族主義は,科学によって却けられるものである。
    しかし困ったことに,今日,文化人類学者は民族主義の側についている。

    つぎが,文化人類学者の民族主義宣言である:
      「アイヌ研究に関する日本民族学会研究倫理委員会の見解」
    『民俗學研究』(日本民族学会), 54(1), 1989.
     少数民族の調査研究に際して民族学者, 文化人類学者が直面する倫理的諸問題を検討するため, 日本民族学会理事会は1988年11月, 研究倫理委員会を発足させたが, この委員会は数度にわたる慎重な審議をふまえて, このほどまずアイヌ研究についての見解を次のようにまとめた。

     1. 民族学, 文化人類学の分野における, 基本的な概念のひとつは「民族」である。この「民族」の規定にあたっては, 言語, 習俗,慣習その他の文化的伝統に加えて, 人びとの主体的な帰属意識の存在が重要な要件であり, この意識が人びとの間に存在するとき,この人びとは独立した民族とみなされる。アイヌの人びとの場合も, 主体的な帰属意識がある限りにおいて, 独自の民族として認識されなければならない。
     アイヌ民族がこれまでに形成発展させてきた民族文化も, この観点から十分に尊重されなければならない。また一般的に, 民族文化は常に変化するという基本的特質を持つが, 特に明治以降大きな変貌を強いられたアイヌ民族文化が, あたかも滅びゆく文化であるかのようにしばしば誤解されてきたことは,民族文化への基本認識の誤りにもとづくものであった。

     2. 民族学者, 文化人類学者によって行われてきたアイヌ民族文化の研究も,その例外ではなかった。これまでの研究はアイヌ民族の意志や希望の反映という点においても, アイヌ民族への研究成果の還元においても,極めて不十分であったと言わねばならない。こうした反省の上に立てば, 今後のアイヌ研究の発展のために不可欠なのは, アイヌ民族とその文化に対する正しい理解の確立と, 相互の十分な意志疎通を実現し得る研究体制の確立である。そのためには, まずアイヌ民族出身の専門研究者の育成と, その参加による共同研究が必要であり, またこれを実現するための公的研究・教育機関の設立が急務である。

     3. こうして得られた研究の成果は,教育・啓蒙の側面においても積極的に活用されるべきである。すなわち, 抑圧を強いられてきたアイヌ民族の歴史とその文化について,学校教育, 社会教育等を通じて正しい理解をたかめ, 日本社会に今なお根強く残るアイヌ民族に対する誤解や偏見を一掃するため, あらゆる努力がはらわれなければならない。この目的のためには, 初等・中等教育における教科書の内容についても十分に検討する必要がある。一方, アイヌ民族の幼いメンバーや若い世代に対して, アイヌの伝統文化とアイヌ語を学習する機会が制度的に保証されなければならないとわれわれは考える。

     4. アイヌ民族に対するこうした正しい理解の促進は, 現在さかんに強調されている国際理解教育の第一歩でもある。独自の文化と独自の帰属意識を持つアイヌ民族が日本のなかに存在することを正しく理解することなしに, 国際化時代の異文化理解は到底達成し得ないことを認識する必要がある。アイヌ民族に対する正しい理解を出発点としてこそ, 他の少数民族や差別の問題についても公正な認識を持ち, 他の文化や社会についての理解を深めることができるのである。

     5. 以上の見解は, 文化や社会の研究と教育に携わっているわれわれ民族学者, 文化人類学者の研究倫理から発したものである。今日, 日本のみならず,世界のいずれの地においても,一方的な研究至上主は通用しない。われわれの研究活動も,ひとつの社会的行為であることを肝に銘ずべきである。今回のアイヌ民族に関するわれわれの見解の表明は, こうした社会的責任の自覚にもとづくものに他ならない。

     1989年 6月1日 (木〕
     日本民族学会研究倫理委員会
     委員長  祖父江孝男      (放送大学)
     委 員  伊藤 亜人      (東京大学)
          上野 和男      (国立歴史民俗博物館)
          大塚 和義      (国立民族学博物館)
          岡田 宏明      (北海道大学)
          小谷 凱宣      (名古屋大学)
          小西 正捷      (立教大学)
          スチュアート ヘンリ (目白女子短期大学)
          田中真砂子      (お茶の水女子大学)
          丸山 孝一      (九州大学)
          山下 晋司      (東京大学)


    科学は,言えば身も蓋もないようなことを敢えて言うから,科学である。
    しかし文化人類学者は,「周りに気遣いしてものを言わねばならない」を立場にする。
    民族主義者に対しては,よいしょで応じることになる。

    しかも,この宣言が民族派からの恫喝に恐れをなしてつくったものであることが,また情けないところである。
    つぎがその恫喝:

       アイヌ解放同盟 (代表 結城庄司),北方民族研究所 (代表 新谷行) 連名
    「第26回 日本人類学会, 日本民族学会連合大会のすべての参加者に対する公開質問状」
    太田竜「アイヌ共和国独立・夢と展望」(1972) (太田竜『アイヌ革命論』に収載. pp.208-225 ) に「全文引用」とあるのを,孫引き.
     今から十九年前、この札幌で、日本人類、民族学会連合大会が開かれた。 その主要テーマの一つは、今年の二六回大会と同じく、アイヌ研究であった。 知里、河野広道の論争と、両者の決裂がその焦点であった。 和人アイヌ学者全体を憎悪し、闘争し抜いたウタリ知里真志保は、すでにない。
     知里の遺志を継承し、発展させることを志して、我々、アイヌ解放同盟、北方民族研究所は、本大会のすべての参加者に対し、次の質問に答えることを要求する。
     第一。
     本大会の大会委員に名をつらねている高倉新一郎、更科源蔵は、北海道アイヌ専門学会の代表的指導者である。 彼等は、くり返し、アイヌ民族はすでに滅亡しており、日本民族の中に同化しきっている、と明言している。
    本大会のアイヌ問題についての討議は、アイヌ民族は亡びている。 或いは亡ぼすべきである、という原則に立って行なわれるのか。
    それとも、原始共産制に生きたアイヌ社会は、アメリカ大陸におけるインディオと同じく、尚生きており、滅びることを相否しており、征服者たる日本国家に対決している、という認識に立って行なわれるのか。
    この点を質問する。
     第二。
     松前藩時代から明治以降、今日に至るまで、和人の側のアイヌ研究、アイヌ専門学界は、アイヌ同族を研究と解剖の客体として位置づけて来たのではなかったか。 まず和人の軍隊がアイヌを暴力で征服し、次に、商人資本がアイヌを奴隷的に使役し、更に和人の農漁民がアイヌ同族からすべての土地と海を奪い取り、最後にアイヌ専門学者がアイヌの精神と歴史を抹殺しようと努力して来たのではなかったか。
     本大会のすべての参加者諸君。
     君たちは、和人支配者階級の圧迫、征服に対決するアイヌ解放の味方なのか。 それとも君たちは、日本国家のアイヌ滅亡、抹殺作業の総仕上げの担い手なのか。 君たちは、この問いにこたえなければならない。
    本大会幹事の一人である埴原和郎君 (本大会開催場所である札幌医大助教授) は、一九七二年八月十七日付夕刊北海道新聞紙上に、次のようなきれいな言葉を書いた。
    「‥‥‥アイヌ系の人々は、とくに和人とのかかわり合いにおいて、多くの苦汁をなめてきたにちがいない。 このような面を無視しては、今やアイヌ論はなりたたないとさえいえる。 来るべきシンポジウムは、こんな点でもまた、二十年前とはちがったものになるだろう。 過去の研究は尊重されるべきであるが、また一面では、これらにとらわれない自由な討議がなくては、科学の進歩は期待できないのである」。
     さて、本大会幹事、埴原君。
     われわれ、アイヌ解放同盟、北方民族研究所は、君の言う自由な討議、本連合大会のスケジュールにとらわれない真実の討議を欲するのだ。
    真実の、自由な討議とは何だ。 殺され、自由を奪われ、すべてを抹殺されてきた被征服原住民アイヌの発言を無制限に解放することだ。
    いうまでもなく、君たちをはじめとする和人の教育者の大きな力によってアイヌの多くの子弟は、脱アイヌ、和人搾取者階級文明への同化の道に引きずり込まれている。 だが若くして死んだアイヌ作家鳩沢佐美夫の、次の主張を聞くがいいのだ。
    「‥‥‥僕はね、一学者の例をあげて、ここで問題にしようとしているんではないんだ。 けれども、アイヌ学者、研究者という連中は、どいつもこいつも、純粋な植物に寄り襲ってくる害虫の一種でしかないと断言したい。‥‥‥ 対象が素朴であれば素朴なほど、朽ち枯れる度合も多いんだ。 しかもだ、その屍も、彼たちにとっては、恰好の糧なのだ‥‥‥」
    (新人物往来社刊『鳩沢佐美夫遺稿集、若きアイヌの魂』三五頁)。
     本大会委員、更科源蔵君。
     君にこそ、全アイヌ同胞の憎悪は集中している。
     なぜなら、君の前半生はアイヌの良心的味方であり、そして君の後半生は、そのこと〈アイヌの友であること〉を、資本として、和人搾取階級の国家権力のアイヌ精神抹殺者へとオノレを売りわたしたからだ。
     われわれアイヌ解放同盟、北方民族研究所は、何はともあれ、更科源蔵をアイヌ同族の敵として糾弾するのだ。
    一九七二年八月二十五日  

      太田竜「アイヌ武装反乱の微かな兆し」, 1973.
     太田竜『アイヌ革命論』収載,pp.226-242.
    pp.226-229
     私は『話の特集』七二年十一月号 (本書前章参照) でシャモのアイヌ専門学者たちに警告しておいた。 北方民族研究所宣言は、着実に実行に移される、ということを。
     十月四日午後、結城庄司、新谷行及び私の三名は、東京・明治大学大学院でまさに授業を始めようとした祖父江孝男 (明大教授、八月二十五日の札幌医大における日本民族学会・日本人類学会第二六回連合大会綜合シンポジウムの座長) に対し、その場で、一時間にわたり質問と公開討論を行なった。
     その結果、祖父江孝男は、次のようなわび状を書いた。 左にこれを公表する。
     
     九月一日付、北海道新聞紙上において八月二五日行なわれた人類学民族学連合大会のシンポジウムのことを書きましたが、その際登壇されたアイヌ解放同盟および北方民族研究所のことについて記し、その場に居合わせた本多勝一氏のことばを引用して「彼等の言うことにも一理はあるが、そのやりかたはいささか小児的」と書きましたが、本多氏はそのあとから「あのことばはむしろ太田竜氏に対して自分が言ったことばであって、解放同盟会体に対して向けられたものでは決してない」と訂正して参りました。 また私自身はその時の状況を詳しく知らずに、ただこうした運動全体が小児的であるかの如き印象を一般の人びとに与えてしまったのはまことに申訳なく、ここに訂正し、お詫び致します。
     また考えてみますと、あの時のシンポジウムの準備段階においてアイヌ系の人びと、特にウタリ協会などの人びとへは事前によく連絡し、内容を知らせておくなどのことをしておくべきところであり、またあの時、最後にアイヌ系の人びとの発言を許すとの約束があったにも拘わらず、結局その約束が実現されずに終っていたことも、当日の綜合討論 (文化部門) の座長として申訳なく、ここにお詫び申しあげます。
       明治大学教授
       日本民族学会会長
       祖父江孝男
     昭和四十七年九月四日
    アイヌ解放同盟代表 結城庄司殿
    北方民族研究所代表 新谷 行殿
     

     祖父江孝男の論文 (『北海道新聞』九月一日付夕刊「北方圏の人類学と民族学」──シンポジウムを終わって・下) の問題の箇所は次の通りである。
     
    ‥‥‥ また今回の論議のなかには社会構造、親族構造の問題が全くとりあげられていないのも惜しい点だし、文化変容の過程と、アイヌ系の人びとが現在おかれている状態 (差別などの問題もふくめて) についての研究も今後の課題として考えるべきであろう。 しかし人類学者としての私たちは、この点でたちまち学者のモラルを問う根本的な問題に直面してしまうのである。
    人類学者の故泉靖一〔東大〕教授は『フィールド・ワークの記録』と題する著書 (昭四四) の序文のなかで、十勝海岸にカラフトからの引き揚げアイヌを訪ねたときのことについて、つぎのように記している。
    『丁度 (ちょうど) 一人の老人について聞き書きを行なっているとき、隣家の中年の女性が血相かえてどなりこんできた。
    "おめえたちはカラフト・アイヌがどんな苦労をしているかしるめえ。おれたちをだしにして博士さまになる気か ?‥‥‥"
    私は電光に打たれたより激しく衝撃を受け、ただあやまって調査をせずに帰ってきた。 それいらいアイヌ系の人びとにあうことが苦痛だし、調査を試みようともしない』。
     実はこのとき泉教授に同行していたのが当時大学院にいた私であり、私も泉教授と同じくアイヌ文化の研究から離れるに至ったのであった。 しかしそうかといって、アイヌ伝統文化と民族の歴史を正しく記録し、把握しておくことはまた、人類学者の行なうべき重要な課題なのである。 こうした根本的なジレンマの存在に対しては、研究者の多くが痛感しておられるところだと思うが、ひとりひとりがいっそう明確な意識をもって直面すべき課題であろう。
    そしてまたこうした問題についての討論は、あくまで冷静に行なわれるべきだと思う。
    実はこのシンポジウムの席上、演壇を占拠した青年たちは、このシンポジウム自体がアイヌ民族を亡ぼそうとする政治意図から開かれたと激しく迫ったのだが、どうもこうしたふん囲気が作られてしまうと、議論ははじめからかみ合わなくなる。
    かつて黒人やインディアンの差別問題をとりあげ、人類学者のモラルをきびしく批判したあるジャーナリストが当日、聴衆の一人として出席しており、『彼らのいうことにもたしかに一理はある。しかしそのやりかたは、いささか小児的』と述べていたのが印象的だった。
     


    文化人類学者の「研究倫理」実践を,最近の出来事から引いておく:
      北海道新聞 2018/08/04
    (https://www.hokkaido-np.co.jp/article/215361)
    収集したアイヌ民族の遺骨を供養
    北大でイチャルパ
     北大医学部がかつて研究目的で収集し、保管しているアイヌ民族の遺骨の慰霊祭「イチャルパ」が3日、札幌市北区の北大構内にある「アイヌ納骨堂」で開かれ、関係者ら約150人が鎮魂の祈りをささげた。
     慰霊祭は、北海道アイヌ協会が主催し、今年で35回目。同協会の加藤忠理事長は「責任の所在を明らかにし、禍根を残すことのないよう対話に基づき返還を進めていきたい」とあいさつ。北大の名和豊春学長は「歴史的経緯においてアイヌ民族への配慮を欠いたことを真摯(しんし)に受け止め、教育研究機関として責務を果たしていく」と述べた。
     納骨堂には遺骨942体と、一部の骨など一体分として特定できない遺骨を収めた332箱が保管されている。慰霊祭には、日本人類学会の篠田謙一会長(国立科学博物館副館長)ら関係団体・機関の代表も参列した。

    ちなみに,アイヌに「遺骨 (舎利)」の概念は無い。
    「遺骨 (舎利)」の概念は,仏教のものである。
    仏教の遺骨供養が「イチャルパ」だとは,見当違いもはなはだしい。
    実際,つぎが,アイヌの「死」の観念である:
      Batchelor, John (1901) : The Ainu and Their Folk-Lore.
    (引用は,安田一郎[訳]『アイヌの伝承と民俗』(青土社, 1995) から)
    pp.450, 451
    霊は、肉体が横たえられた墓とそのすぐまわりに出没すると考えられているし、また霊は、肉体の休息場所の近くで見つかった人にはだれであろうと、その精神に魔法をかけるし、さらにその肉体に危害を加える力をもっているだけでなく、その霊が女の霊ならとくに、機会があり次第そうする意志をもっていると考えられている。
     ‥‥
     他人が埋葬された場所の近くに行かないようにするために物語られる民間伝承はつぎの通りである。
    「もし人が墓に行くなら、それがどんなに古いかは、問題ではなく、その人はきっと罰せられるだろう。それゆえ、用心せよ、用心せよ」。
    p.460
     肉体が墓場近くにいるとき、霊も、少なくともその一部はその近くにいて、だんだんその地上の住まいから解放される。 霊は慎重に一人にしてやらねばならない。
    さきにほのめかしたように、だれも霊の領域には侵入してはならない。 というのは、それは部屋と完全な自由を必要とするからである。
    それゆえ、アイヌが共同墓地でなく、森のなかの遠く離れ、隔離された場所に遺体を埋葬する理由は、この考えに求めねばならない。
    p.461
    彼らは、埋葬するときには、場所を示すために、各墓の足元に棒を必ず立てる。
    この棒は便宜上墓標とよばれてよい。
    しかしこれは、死者を思い出すよりもむしろ (というのは、それについてはどんな字も書いてないからである)、埋葬がここにあったことを偶然ここに来た猟師に指摘し、過ちを犯さないようにするためである。