Up 境界文化「アイヌ」 作成: 2018-09-30
更新: 2018-10-01


    人間の歴史は,文化の生存競争がこれの内容である。
    競争する文化は,文化圏の対立として現象する。
    そして,対立の均衡相──その時々の均衡相──として,文化境界を現す。

    文化境界は,線ではない。
    「境界文化」とでも呼べるような,ゾーンになる。
    境界文化は,対立する文化の混淆である。
    この文化圏の者は,対立する文化のインタフェースを演じるふうになる。

    日本の歴史では,「アイヌ文化」という境界文化がかつて存在した。
    これは,耕作を生業として定住生活する文化と狩猟採集を生業として移動生活する文化の境界文化である。


    耕作定住生活者と狩猟採集移動生活者は,生活の場所取りで衝突する。
    そして,前者がこの場所取りに勝っていく。

    「場所取り」の内容は,つぎの2つである:
    1. 狩猟採集生活者の生活圏に耕作生活者が入ってきて,狩猟採集生活者が追い出される
    2. 狩猟採集生活者が耕作定住生活に転向する

    追い出された狩猟採集生活者は,山地や北方に移ってそこを生活の場所にする。
    しかし,耕作定住生活文化圏の拡大は止まらない。
    耕作定住生活文化圏と狩猟採集生活文化圏の境界線が,さらに山の中へ・北の方へ移動する。

    この過程で,境界ゾーンに,耕作定住生活文化と狩猟採集生活文化が混淆した文化が醸成される。
    境界線北方移動での境界文化は,「アイヌ文化」である。
    境界線山地移動での境界文化の方は,不明である──いまは痕跡をたどる術も無い。


    北方の狩猟採集生活者を,耕作定住生活文化圏は「蝦夷」と括る。
    自分は,「大和(やまと)」である。
    大和圏の拡大は,ときに武力でなされる──「蝦夷征伐」。

    大和と蝦夷の境界線は,北方へ移動し続ける。
    そしてついに津軽海峡を渡り北海道に入る。
    この段階での境界文化,それが「アイヌ文化」である。


    「アイヌ」とは,「アイヌ文化の者」のことである。
    「アイヌ」という DNA タイプがあるわけではない。
    実際,和人がアイヌになるということもある:
       山本多助 (1948), p.32.
    わが一族の古老たちによると、われらの先祖は青森から船出して網走に上陸、その後クシリ (釧路) に定住したのだという。
    私としては、はなはだ気にくわぬことではあるが、いたしかたのない事実である。

    アイヌは,漁猟採集と小規模畑作を営む。
    土地に縛られておらず,状況次第で居住場所を移動する。
    ──この意味で,定住生活者ではない。

    生活用具には,和人から得る物が多く混じる。
    ──矢・槍・鍋・針等の鉄器,綿布・糸,装飾品・宝物,酒・煙草。
    アイヌ文化が境界文化と位置づけられる所以である。

    この境界文化の形成には,蝦夷統治に当たった大名たちのアイヌ政策が与っている:
    1. 部族長アイヌを懐柔・分断・討伐。
    2. 部族長が無くなったアイヌを,和人から隔離するように統治


    境界文化の存在は,「日本人」括りの虚妄を直接示すものになる。
    「日本人」括りは,全部をとれないからである。


    引用文献
    • 山本多助 (1948) :「釧路アイヌの系図と伝説」
       チカップ美恵子編著『森と大地の言い伝え』収載 : pp.21-84