Up 昔々わが民族は‥‥」の創作 作成: 2018-09-23
更新: 2018-09-23


    「○○民族」は,虚妄である。
    「民族」は,創作される。

    「民族」は,
      昔々わが民族は,幸福であった
      昔々わが民族は,まっとうであった
    のストーリーが創作されるときの「わが民族」である。
    そしてこのストーリーの内容は:
      「わが民族は,いま不幸・混乱の状態にある」
      「あの悪者が,わが民族をこの状態にした」


    例. つぎの二つは,「アイヌ民族」の創作:
       知里幸惠『アイヌ神謡集』「序」
     その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.
     冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久にさえずる小鳥と共に歌い暮してふきとりよもぎ摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とるかがりも消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,まどかな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.‥‥‥

      戸塚美波子「詩 血となみだの大地」
    自然は
    人間自らの手によって
    破壊されてきた
    われらアイヌ民族は
    何によって破壊されたのだ
    この広大なる北海道の大地に
    君臨していたアイヌ
    自由に生きていたアイヌ
    魚を取り 熊 鹿を追い
    山菜を採り
    海辺に 川辺に
    山に 彼らは生きていた

    人と人とが 殺し合うこともなく
    大自然に添って 自然のままに
    生きていたアイヌ
    この大地は まさしく
    彼ら アイヌの物であった
    侵略されるまでは───

    ある日 突然
    見知らぬ人間が
    彼らの 目の前に現われた
    人を疑わねアイヌは
    彼ら和人を もてなし
    道先案内人となった

    しかし──
    和人は 部落の若い女たちを
    かたっばしから連れ去ったうえ
    凌辱したのだ──

    そして 男たちを
    漁場へと連れて行き
    休むひまなく
    働かせた

    若い女たちは
    恋人とも 引さ離され
    和人の子を身寵ると
    腹を蹴られ流産させられた
    そして 多くの女たちは
    血にまみれて 息絶えた

    男たちは
    妻 子 恋人とも
    速く離れ
    重労働で疲れ果てた体を
    病いに胃され
    故郷に 送り返された
    その道すがら
    妻を 子を 恋人の名を
    呼びつつ
    死出の旅へと発った
     ‥‥‥




    例. つぎは,「大和民族」の創作:
       本居宣長『玉くしげ』
    其時代には、臣下たちも下萬民も、一同に心直く正しかりしかば、皆天皇の御心を心として、たゞひたすらに朝廷を恐れつゝしみ、上の御掟のまゝに従ひ守りて、少しも面々のかしこだての料簡をば立ざりし故に、上と下とよく和合して、天下はめでたく治まりしなり、
    然るに西戎の道をまじへ用ひらるゝ時代に至ては、おのづからその理窟だての風俗のうつりて、人々おのが私シのかしこだての料簡いでくるまゝに、下も上の御心を心とせぬやうになりて、萬ヅ事むつかしく、次第に治めにくゝなりて、後にはつひに、かの西戎の惡風俗にも、さのみかはらぬやうになれるなり、

     註: 「悪者」はこの場合「西戎の道」に傾倒した者だが,ただし直接「悪者」にはならなくて,つぎのようになる:
     「 抑かやうに、西の方の外國より、さまざまの事さまざまの物の渡り入來て、それを取用ふるも、みな善惡の神の御はからひにて、これ又さやうになり來るべき道理のあることなり」(同上)





    引用文献
    • 知里幸惠『アイヌ神謡集』
        郷土研究社(炉辺叢書), 1923. (岩波文庫 1978)
    • 戸塚美波子「詩 血となみだの大地」
        旭川人権擁護委員連合会『コタンの痕跡』, 1971, pp.95-107.