Up 60年安保のブント : 要旨 作成: 2018-09-20
更新: 2018-09-20


    生きることは,生業を立てることである。
    集団は,個人それぞれの生業が立つように自己組織化する。
    この自己組織化は,<体制>を現す。

    体制は,個の自由の制約である。
    ひとのうちには,この制約に拒否反応してしまう体質の者がいる。
    「非行の者」 (「過激な者」ともいう) である。
    かれらは「自由」を想う。
    さらにこのうちから,「自由」を立てる者が現れる。

    「自由」を立てることは,論理矛楯である。
    体制に生かされて体制を否定するからである。
    「自由」は,幻想である。

    実際,「自由」を立てる者は,生業から自由の者である。
    生業をもつ者は,生業にきゅうきゅうとしていても生業から離れられない者であり,「自由」を言われても「自由」の考え様が無い者である。


    「自由」の実現は,体制の打倒を含意する。
    体制は進んで打倒されてくれないから,この「体制打倒」は「体制打倒の暴力を組織し解放する」である。 即ち,「暴力革命」である。

    このとき,「自由」を求める者は,ただの非行の者 (過激な者) であるから,「革命」ストーリーの主人公にはならない/なれない。
    そこで,生活困難者を主人公に立てる。
    生活困難者を生むのは体制が悪いからであり,体制を改めれば生活困難者は無くなる」のイデオロギーがつくられるわけである。


    元は己の非行体質であるが,「ひとのため」のフィクションを立てて,自分を正義の者にする。
    こうして,一旦自己満足に至る。

    しかし,「革命」行動の段になると,たちまち困ってしまう。
    「生活困難者」は立ってくれない。
    行動の大義も方法も立たない。
    革命と自由」の者は,本質的に「ノンポリ」である。
    この(てい)で,行動を起こす。

    彼らの行動は,社会から浮き上がったものになるのみである。
    馬鹿騒ぎで終始してたちまちに止むのが,道理である。

    60年安保のブントは,これであった。


    「60年安保のブント」は,これの本質が
      西部邁『六○年安保──センチメンタル・ジャーニー』, 文芸春秋, 1986.
    に過不足無く書かれている。
    そこで本節は,この書からの引用を中心に構成する。
    なお引用ページは,読者がアクセスしやすいこれの文庫版 (文春学藝ライブラリー, 2018) のものを示す。