Up 生業 作成: 2018-09-22
更新: 2018-09-22


    挫折処理の本来形は,《<生きる>を素直に引き受ける》である。
    ひとの<生きる>は,<生業う>である。
    よって,《生業う者として自分を立てる》が,挫折処理の本来形である。
    ──これ以外は虚構である:


    商品経済体制では,<生業う>は<供給者を生業う>である。
    このとき,需要というものがはじめからあるわけではない。
    商品経済体制では,需要は喚起するものである。
    特に,無くても済ませるものの需要を喚起しこれに供給するというのが,商品経済体制での<生業う>である。

    <生業う>は,生存競争である。
    実際,生物の<生きる>は,<ぎりぎり生きる>になる。
    <ぎりぎり生きる>になるのは,生物の個体数は生きられるぎりぎりの個体数に落ち着くからである。

      窮民救済キャンペーンが延々と続くのは,<生きられるぎりぎりの個体数>は窮民を設けるからである。
      実際,窮民が無いとは,個体数が増える余裕があるということである。このとき,個体数は増える余裕が無くなるまで増える。その個体数は,窮民が多くてどうしようもないとなる個体数である。


    生存競争は,系の均衡の範囲内で,なりふり構わぬものになる。
    <無くても済ませるものの需要を喚起する>は,なりふり構わぬものになる。
    即ち,「詐欺」になる。

      わかりやすい例が,「無菌」ビジネスである。
      「無菌」は,騙しである。
      人は,無数の菌と共に生き,そしてこの共生関係によってによって生きられている。

    こうして,「大人の世界は汚い」になる。
    しかし「大人の世界は汚い」は,「生物の世界は汚い」と言っているのと同じである。
    大人の世界は汚い」に挫折した子どもは,つぎは大人を引き受けるのみである。