Up 正義否定の到着点は,「是非も無し」──「世界認識」 作成: 2023-12-27
更新: 2023-12-27


    思想は,世界をわかろうとする行為である。
    では,思想がわかることになる世界は,どんなか?
    それは「是非も無し」である。

    是非を立てるのは,イデオロギーである。
    イデオロギーは,現前に悪を見る。
    そして,その悪を滅ぼせば善が実現されると思う。
    このイデオロギーが悪の撲滅の実践に向かうとき,事態は悪化するばかりとなる。
    現前は,系が現時点での均衡を実現している相である。
    イデオロギーがする実践は,系を攪乱するだけになる。

    天網恢恢疎にして漏らさず。
    そして人間が系に貢献できることは無い。
    人間は,おとなしくしていればいるほど系にとっては良い,といったものなのである。

    これはニヒリズム?
    そうである。

    ひとはニヒリズムを悪いことだと思っている。
    そう思わせているのは,正義・理性である。
    正義・理性がニヒリズムを悪いことにするのは,ニヒリズムは正義・理性の否定だからである。

    科学は,ニヒリズムである。
    科学に正義・理性からの弾圧の歴史があるのは,科学がニヒリズムだからである。
    正義・理性の否定になるからである。