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平田篤胤『古道大意(上)』
此方の學風を古學と云ひ 學ぶ道を吉道と申す故は,古へ儒佛の道いまだ御國へ渡り来らざる以前の,純粋なる古への意と,古への言とを以て,天地の初めよりの事實をすなほに説考へ,その事實の上に眞の道の具ってある事を明らむる學問である故に,古道學と申すでござる。
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歌を詠むも古の言を解くも,皆神代の道を知べき便‥‥
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国学は,古学を通じて,「古の心」への復古を唱える立場である。
この「古の心」を,「やまとたましひ」の言い回しで主題化する。
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平田篤胤『古道大意(下)』
さて夫ほどに結構なる情を,天津神の御霊によって,生れ得てゐるに依て,夫なりに偽らず枉らず行くを,人間の眞との道と云う。
又其生れ得たる道を邪心の出ぬやうに修し齊へて,近くたとへやうならば,御國人は自からに,武く正しく直に生れつく,是を大和心とも,御國魂とも云でござる。
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素より御國人は,皆々下の心に,此美しく潔き心を持て居るけれども,大かたは外國どもの心に移り,其の本意が曇ってゐる,是をどうぞ磨き出して,元の美麗しい心に成りたいものでござる。
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実際,思想としての国学は,「やまとたましひ」を立てるだけのものである。
しかもこの「やまとたましひ」が,ナンセンスときてる。
「やまとたましひ」を立てるのは,非合理を欲する心である。
実際,「やまとたましひ」で盛り上がる時節は,異常な時節である。
国学は,ひとが「やまとたましひ」で盛り上がりたくなる異常な時節に,元気づく。
ひとは盛り上がって,つぎに幻滅する。
この幻滅とともに,国学ブームも止む。
幕末維新の動乱期にこれが有り,國體思想の軍国主義期にこれが有った。
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