Up | 「國體」思想 | 作成: 2012-06-07 更新: 2012-06-07 |
試行しようとするのは,悪者論 (「邪悪な権力者による思想弾圧」) ではない形の理解である。 すなわち,つぎの形の理解を試みる:
「國體」は,国を一つの生命体に見立てる考え方である。 この「生命体」の文脈は,「唯一無二のかけがえのない生命体を,死から守る」である。 列強に脅かされる日本を,このようにとらえた。 「國體」思想は,国をどのように生命体に見立てるか。 生命体を,<身体>と<精神>でとらえる。 <身体>は,国土や人,季候,その他もろもろの物理的事象ということにして,問題はない。 問題は,<精神>である。 「國體」のアイデアは,<天皇>を<精神>にするというものである。 「國體」は,他国からの日本の差別化に用いられる。 すなわち,日本国は生命体であり,他国は機関 (機械) である。 「機関 (機械)」には,「壊れて作り直される」の含蓄がある。 これに対する「生命」の含蓄は,「死んだらそれでおしまい」である。 また,日本の国民は,「國體」という生命体の要素になる (「国と一心同体」)。 一方,国が機関 (機械) である他国の国民は,機関 (機械) を操作する存在という格好になる。 この含蓄も重要である。 さて,「國體」の考え方をするとき,死をもたらすものはとりわけ<外> (列強) であるが,<内>にも死をもたらすものがある,となる。 がん細胞といったものである。 ここに,思想に対しては,「國體」に死をもたらす思想として,「危険思想・不健全思想」の枠が立てられる。 「天皇機関説」は,危険思想の最たるものになる。 「國體」から<精神>が無くなり,さらに日本国が生命体ではなく機関 (機械) だということになるからである。 「赤化思想」弾圧も,「國體」に死をもたらすがん細胞の当然の退治として,行われたわけである。 思想弾圧は,《権力者が自分に都合の悪い思想を弾圧する》という図式なら,理解が簡単である。 ひとが悪者論 (「邪悪な権力者による思想弾圧」) を好むのは,理解が簡単だからである。 しかし,日本の 20世紀前半期の思想弾圧は,「國體」思想が根底にあるものであって,悪者論では処せない。 悪者を挙げるとすれば,「國體」思想にはまった者ということになり,そしてこれは当時の国民の多くということになる。 「一心同体」思想は,必ず思想弾圧に進む。 「個性の尊重」を言いつつ,これと「災いの芽を摘む」の間に矛盾を立てない。 「災いの芽を摘む」こととして,思想弾圧を当然のものにしていくのである。 「一心同体」思想は,組織であれば必ず醸成される思想である。 ひとは,このタイプの思想に対するスタンスのとり方を,覚えねばならない。 ちなみに,「國體」論は,<天皇>を<精神>にするところの論述で,ロジックのひどく苦しいものになる。 ロジックの苦しさは論者の意識するところであって,これの無理矢理突破をやる。 無理矢理突破のその論は,もはや理論ではない。ロマンの語りである。 |