Up 「曼荼羅」図が拠り所 作成: 2018-06-05
更新: 2018-06-08


    空海は,自分を優位に置くように『般若心経』の解説をつくる。
    方法は,他派を子ども扱いすることである。
    これにより自動的に,自分が格上になる。

    要点は,「批判」を方法にしないということである。
    批判は,相手を自分と同格にすることになる。
    そして,批判は相手の反撃を招き,泥沼の戦いになっていく。
    一方,子ども扱いは,相手を格下にすることができ,しかも相手を相手にしないで済む。
    さらに,自分は「相手を認めてやる者」になるわけであり,自分を「余裕の者」として現すことができる。

    (えい)障の軽重、覚悟の遅速の若きに至っては、機根不同にして、(しょう)欲即ち異なり,
    (つい)んじて、二教,轍を(ことん)じて、手を金蓮の場に分ち、五乗(くつばみ)を並べて、蹄を幻影の埒に(あが)つ。
    其の解毒に随って薬を得ること、即ち別なり。
    慈父導子の方、大綱此れに在り。
      二教:顕経と密教

    難者の曰く、「若し然らば、前来の法匠、何ぞこの言を吐かざる。」
    答う。「聖人の薬を投ずること、機の深浅に随い、賢者の説黙は、時を待ち、人を待つ。」
    吾れ、未だ知らず、蓋し言うべきを言わざるか、言うまじければ言わざるか。
    言うまじきを之を言えらん(とが)、智人、断りたまえまくのみ。

    如来の説法に二種有り、一には顕、二には秘。
    顕機の為には多名句を説き、秘根の為には総持の字を説く。
    ‥‥
    能不の間、教機に在り,まくのみ。
    之を説き、之を黙する、並びに仏意に(かな)えり。
    ‥‥
    知ると知らざると、誰が罪過ぞ。
    ‥‥
    顕密は人に在り、声字は即ち非なり。
    然れども猶、顕が中に秘、秘が中に極秘なり。
    浅深重重まくのみ。


    他派をどのように子どもにするか?
    他派の教主とする諸仏が,大日如来の配下にあることを言う。
    曼荼羅図が,この配置を一目瞭然に描いている。
    他派には,大日如来が見えていない。
    自分空海には,大日如来が見えている。
    大日如来が見えているから,自分空海には他派がまだ子どもであることが見て取れる。

    曼荼羅図がただの空想画になる者にとって,空海とは自分の枠組の中で空回りする者である。
    空海にとってそれが空回りでないのは,曼荼羅図を信仰する者だからである。