Up | 「競争」の単純思考 (競争主義) | 作成: 2020-11-28 更新: 2020-11-29 |
そこで,通貨はどうであるのがよいかを提案する。 これは,"conpeting currencies" ということであり,そしてこの先には "deinternationalisation of money" が展望される。 この提案は,彼の自由主義から導かれるものである。 即ち,つぎのようになる:
これは,うまくいかない。 行うべきは,員それぞれの規範を競合させることである。 そうすれば,自ずと最適な規範に至る。 ハイエクの自由主義は,競争至上主義的な「新自由主義」を生み出してしまうように,ひどく単純である。 その単純さは,「階層/次元」の考えが無い/弱いことの単純さである。 "concurrent currencies", "conpeting currencies" の "concurrent", "conpeting" は,"currencies" の階層/次元には収まらない。 実際,人為的な "concurrent", "conpeting" は,不都合なパワーの支配や系の破壊を招くのが相場である。 生態系の「競争=自然選択」は,複雑である。 そこには,多様な階層・次元が見出される。 生態系の頂点にいることは,他のすべての者に勝っていることではない。 ハイエクの自由主義の単純さを見て取るためには,アダム・スミスの「神の見えざる手」の自由主義を引けば足る。 生態系の安定相を説明することは,人の能力を超える。 「神の見えざる手」を言うしかないわけである。 人の系は,この生態系である。 「神の見えざる手」を想えない者は,単純な競争を考える。 単純な競争は,系の破壊にしかならない。 実際,市場原理主義の「規制緩和」の後に続いたのは,これが壊してしまったものを取り戻すステージであった。
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