Up | 時間の理解──進化論理解の要諦 | 作成: 2021-11-14 更新: 2021-11-14 |
「生態系の変化」についていえば,「都会化」はまさにこの好例になる。 ひとは,生活環境を都会化する。 このことは, ひとは,「汚い生き物」「気持ちの悪い生き物」「怖い生き物」「無益な生き物」の駆除に努める。 そしてこれが,今日の自然選択の大きなものの1つになる。 例えば,ひとは,雑草を「汚い生き物」として駆除する。 しかしこれは,更地の場所を都合よいとする植物を招くだけである。 そのような植物で特に優勢になるのが,セイヨウタンポポや野菊系のキク科植物である。 ひとの生活の場の植生は,キク科植物一色の様相になる。 このようなところで,キク科植物のみを選んで駆除してみる。 そうするとそこは,クローバのようなマメ科植物や (短く刈り込んだものを「芝」と呼んでいるところの) イネ科植物が優勢の植生になる。 そして一旦こうなると,キク科植物は入って来れない。 キク科植物の進出は,ひとの雑草刈りを味方につけねばならないのである。 「生物個体の変化」も,ダーウィンは犬や鳩の多品種を例えにしたが,比較的短い時間で起こる。 同じ種の中には,個体差がある。 雑草種Aの植生のなかに見出される個体差のうちから,特徴pに目をつけて,pを現す個体──簡単に「p個体」──を優遇する。 そうすると,Aのその植生はp個体が増え,やがてp個体で満たされるようになる。 p個体で満たされた植生も,一様な個体の植生ではない。 生き物は,遺伝子変異が絶えず生じていて,つねに変異個体を現すのである。 そこで,特異な特徴qに目をつけて,q個体を優遇する。 そうすると,植生はq個体で満たされるようになる。 この「自然選択」操作を続けていくとどうなるか? 動物が派生し,そして人間のような生き物が出現するようになる。 さらにその人間もどきに自然選択をかけていくと,「情報化」を謳って興じるいまの人間と同じ生き物が出現するようになる。 これが進化論であるが,このストーリに対し驚嘆すべきは,物理・化学的ダイナミクスの潜在力以上に,時間の潜在力である。 時間をかければ雑草から人間を生みだすこともできるということに,驚嘆すべきなのである。 「地球の誕生は46億年前」を借りれば,生命のもと (「原始スープ」) からいまの人間に至るまで,数十億年。 雑草から始めるのは,このプロセスの大幅なショートカットであるから,人間もどきの出現までに要する時間は数億年を見ておけばよい。 しかし,「雑草から人間を生み出す」と言えば,ひとは定めし荒唐無稽と受け取ることになる。 理由は,「数億年」を理解できないからである。 もちろんひとは,「数億年」を理解していると思っている。 「億は万のつぎ。そのつぎが兆。自分はそれより先の京,該も知ってるぞ!」というわけである。 十進 十進位取命数法のデメリットは,大きさがわからなくなるということである。 1億は,十進表記で 100000000。 只の0が8つと安い1が1つだから,大きいという気分にはならない^^; 100000000 に1個0をつけることが,100 に1個0をつけるのと気分的に大して変わらない。 例えば,マスコミはクマ被害を大きく報道するが,それは「今年になって既に4人が死亡」の類である。
「2021年10月末暫定値:件数 70,被害人数 75,死亡者人数 4」 騒ぎ立てるのは,これがどれほど稀なことなのかがわからないからである。 実際,どれほど稀なことなのかがわかることは,騒ぎ立てることの無用がわかるということである。 そして「稀」がわからないのは,母数になる「億」の人数の大きさがわからないためである。 一事が万事である。 ひとは大きな数を理解できないので,個々の出来事をたいそうなものに思ってしまう。 「地球・生物史上の大事件がいま勃発している」というふうに思うのである。 そして,騒いでも無駄なことに対して大騒ぎをし,自分の生活を窮屈にするのである。 |