Up 『資本論』の価値論は,拙論 作成: 2013-12-29
更新: 2015-10-21


    「『資本論』は恐慌論が商品経済学になっている」と述べた。
    これには,「『資本論』には出来の悪い部分もある」の意味も込められる。
    実際,価値論は拙論である。

    『資本論』の価値論は,基本,「商品の交換」から「価値」を構成する論である。
    そしてこれは,「集合」ベースの構成主義の数学のやり方と近い。
    特に,『資本論』の価値論は「価値の規範学」といってよいものである。

    『資本論』の「価値の規範学」は,開始早々,リアルからまったくかけ離れたものになる。
    推論の理として,その後は空論に次ぐ空論の様相を加速度的に濃くしていく。
    実際,価値論のいちばんの力点は,「商品」としての「労働」の特殊性から「剰余価値」を導出する論にあるが,このあたりになると,もはやロジックを接げないふうになる。 以降は,レトリックに騙されて読み進むのみである。

    価値論に『資本論』のエッセンスを見ようとするのは,間違いである。
    しかし,価値論を『資本論』のエッセンスのように見るむきがある。
    そこで,以下,『資本論』の価値論の解説──『資本論』の価値論の拙劣の解説──を行う。