Up 『資本論』の価値論は,無用 作成: 2014-01-04
更新: 2015-10-21


    ここまで『資本論』の価値論を解説してきたが,解説は『資本論』が「剰余価値」を定立する段で終わる。
    解説は,「商品の交換」から「価値」を構成するところまでであった。

    これは,『資本論』のはじめの部分を触っただけ──残りの厖大な論考の無視──のように見えるかも知れない。
    しかし,構成的論述は,論理を接げなくなったところでオシマイになるものである。 「後は<無理>が続くだけ」と見切り,終わらせるものである。

    そして,「商品の交換」から「価値」を構成する論は,もともと空論である。 「価値の規範学」として読むのみのものである。 ──「数学」を読むように読むのみのものである。

      柄谷行人は「命がけの飛躍,暗闇の中での跳躍」のことばで価値の実現を表現しているが,「命がけの飛躍,暗闇の中での跳躍」には「その都度」の含蓄がある。実際,「その都度」が,リアルな価値の考え方になる。
      マルクスの価値の構成は,空論である。

    そもそも,『資本論』の価値論は,『資本論』において無用のものである。
    『資本論』は商品経済学であるが,恐慌論が商品経済学にあたる。
    そして,価値論はこの商品経済学で機能していない。
    空回りしているネジである。