Up | 管理主義の含蓄──独善と圧政 | 作成: 2013-12-30 更新: 2014-01-06 |
共産主義は,<人は道具を使う>を管理主義で実現するというものである。 それはどのようにして? 道具所有を共同にする。 ところで,道具所有を共同にするとは,仕事を共同作業にするということ,即ち,仕事を共同作業として組まねばならないということである。 さらに,仕事の共同化は,生活一般の共同化を含意する。 この共同が管理されねばならない。 一般に,管理主義には「管理者が<正しさ>を有している」が含意されている。 実際には,管理者と<正しさ>とは関係がない。 よって,管理主義は独善である。 管理主義は,「逸脱者の処分」を含意する。 管理主義は,独善を以て,ひとを裁くものである。 これは,「圧政」になる。 共産主義の含意になる「共同の管理」は,実際「統制」である。 共同から逸脱する者は「不正分子」であり,矯正のための「教育」にかけられる。 矯正不能は,処分になる。 ひとは,型に嵌められて生きるふうになる。 このように,「道具所有の共同」は,「道具所有の共同」で終わらない。 深刻にネガティブな含蓄がある。 (一般に,単純思考回路のつくるものは,こうである。) ちなみに,ブラック企業は,圧政の共産主義国家に似ている。 自由主義社会の企業だから自由主義というわけではない。 実際,管理主義企業は,単体では共産主義国家と同型である。 共産主義の含蓄する「管理」は,管理主体を「共産党」にする。 「共産党」は,絶対的<善>の所在である。 絶対的<善>として,<悪>があればこれを退治するものである。 今日,北朝鮮の体制は「非人道的」と批判されるが,この体制こそ「共産党」の最も「正しい」形を示している。 実際,「拉致」が知られることになる前は,マルクス主義者の北朝鮮詣が続いていたのである。 「拉致」問題がなければ,いまもこれは続いているわけである。 |