Up | 「マルクス経済学」: 要旨 | 作成: 2014-01-02 更新: 2014-01-04 |
しかし,『資本論』の内容は,「経済学」のイメージからは大きく外れるものである。 『資本論』は,ひどくグチャグチャした物言いの論考である。 その文体は,今日,人の読めるものではない。 端的に,<ことば>の逸脱である。 どうしてこうなのかというと,歴史性 (「その時代には,到達点はそこまで」) として,論述の形式が未熟だからである。 そして,そもそも無理な枠組の論考だからである。 そこで,『資本論』の読み方は,《この文体を自分のものにする》ではない。 『資本論』がわかるとは,言っていることがわかるではなく,結局何をやっているかがわかるである。 『資本論』は厖大なテクストであるが,結局何をやっているかは,ごく小さなテクストで述べることができる。 『資本論』を「結局何をやっているか」で捉える方法は,《『資本論』の物言いを構造にする》である。 このとき,『資本論』は一気にコンパクトになる。 併せて,『資本論』が設定する枠組の無理,論述形式の未熟も見えてくる。 即ち,《構造にする》は,『資本論』の批判になる。 翻って,《構造にする》が『資本論』の批判作法というわけである。 本章では,この《構造にする》を示す。 |