唯物論は,「観念的産物」を「社会的生活過程」から構成してみせようとする。
その構成過程に,「人間的な自然存在」「意識」を措く:
動植物はただ生活活動するものであり,これに対し人間は自分の生活活動を対象にする存在である。
人間のこの存り方は,「対自的存在者」である。
「対自」は,「自己意識」である。
「自己意識」は,「対象意識」と同時の契機である。
特に,人間の生活活動は,自分の生活活動を対象化している生活活動であるから,「自由」だとなり,動物の生活活動は,<生活活動させられている>ということになるから,「支配されている」となる。
註 : |
わたしは,人間の<生きる>を動植物の<生きる>から本質的に区別することができない者である。
<生きる>は,<自分>のことであり,<周り>のことである。<生きる>は,<自分>と<周り>を含蓄する。
また,唯物論が立てる「意識」は,わたしの場合は「カラダ」になる。
そして,人間も動植物も<生きる>は「カラダを以て生きる」「生態系に生きる」であるから,人間も動植物も,<生きる>は「支配され同時に自由」である。
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