Up はじめに 作成: 2013-12-29
更新: 2014-01-02


    思想シーンでは,「マルクス主義批判」がいろいろ形を変えつつ現れる。 「マルクス主義批判」というと古めかしいテーマに聞こえるが,「いろいろ形を変えつつ」ということで,いまなお現れる。
    わたしも,いまなお「マルクス主義批判」をしたくなることがある者である。

    「マルクス主義批判」の形態は,人さまざまである。 この「さまざま」は,「マルクス主義批判」をつくろうとする動機,思考回路,立場のさまざまである。
    わたしが「マルクス主義批判」をつくるとき,その理由は,マルクス主義が迷惑な思考様式としてわたしに対してくるからである。

    一般に,「批判」は作法を間違うと,生産的でないものになり,そして面倒なものになる。
    特に「マルクス主義」はイデオロギーであるので,「批判」は作法を間違うと面倒である。
    本論考は,「マルクス主義」批判の作法を述べようとするものである。

    「批判」は,批判の視点をどの高さにおくかで,機能性が大きく変わってくる。
    マルクス主義と同位対立の視点で「マルクス主義批判」を行えば,「目くそ鼻くそ論争」が必定である。
    「マルクス主義批判」は,「批判」というより「解説」になるくらいに,「マルクス主義批判」を高い視点から見下ろすふうにやるのがよい。 (実際このとき,わたしの場合だと,マルクス主義に限らない「迷惑な思想」の一般形式が浮かび上がってくる。)
    これが,本論考が示そうとする「マルクス主義批判」作法である。