Up 「イデア」──形而上学 作成: 2009-05-01
更新: 2009-05-01


    数学の集合の練習で,集合の例をつくってみる。
    このとき,つぎのことに気づく:

      集合の要素の記述は,イデア論で謂う「イデア」の記述ということになる。 この他ではあり得ない。

    同様に,ことばを話すときには,対象の指示は「イデア」の指示ということになる。
    「イデア」は,ことばを使えば必ず使うことになる。 ことばとは,そういうものなのだ。

      「川」と言う。しかし,その「川」を<存在>として画定することは,できない。 実際,いろいろな言い方で,この「できない」を示唆できるだろう。 (例:「川が描かれている絵から,川以外を消して川だけを残すということは,できない。」「いまの川はさっきの川ではない (内容物の水が前とは違う)。」)

    ところが,西欧哲学の伝統は,「イデア」を<存在>として立てる論を構築しようとする。 「存在論」である。 ──「存在論」はまた,「超・物理 (metaphysics)」の意味で,「形而上学」と呼ばれる。

    形而上学の伝統は,見掛けを少しずつ変えつつ,ずっと続いて今日にまで至る。
    例えば,フッサールの「ノエマ」は,「イデア」である。