Up 形而上学批判としてのプラグマティズム 作成: 2009-05-02
更新: 2009-05-02


    ことばを話すときには,対象の指示は「イデア」の指示ということになる。 ことばを使えば必ず「イデア」を使うことになる。 そして,この事実に対し,「このイデアはどんな<存在>だろう?」という問いを立てるのが,形而上学である。

    形而上学批判は,形而上学の土俵にのぼってやれば,形而上学がグチャグチャであるのと同じだけグチャグチャになる。
    形而上学の土俵にのぼらないで,形而上学批判をあっさりやって済ませたのが,Wittgenstein である。

    Wittgenstein は,「形而上学の思考法 (<ことばを使う>を<存在>の話に転じる思考法) は,アタマの動作として珍妙である」「そもそも,こんなふうにアタマを珍妙に動作させることが,哲学とされてきた」という論法を使う:
     <ことばを使う>は,<ことばを使う>だけの話である。
     これを<存在>の話に転じるというのは,アタマが珍妙な動作をしているのである。
    実際,「<ことばを使う>は,<ことばを使う>だけの話である。」が,Wittgenstein が「言語ゲーム」の語を造って言おうとしたことである。