Up 存在論と「自然」 作成: 2014-09-22
更新: 2014-10-30


    「系─個」存在論では,存在が「系─個」連鎖になる:
    そこで,存在の定立は,つぎの2通りになる:
      1. 意識対象が<個>として位置づく<系>を想う
      2. 意識対象を<系>として想う


    一般に,存在論は「存在を想う」を行う。
    「存在」のことばの指すものを求めることは,どこまでいっても「存在を想う」である。

    「存在を想う」は,「存在を任意勝手に想う」にはならない。
    「存在を想う」を自ずと規制しているものがある。
    「任意勝手」に自ずと限度を課しているものがある。
    「存在」のことばを強いて用いるとすれば,これに対してである。
    これは,いろいろに呼ばれてきた。
    「自然」とか「物理」とか「物自体」とか。
    キリスト教文化だと,「神」になったりする。

    人が立てる「存在」と「自然」の関係は?
    「常識」は,この間に<写像>を立てる。
    「系─個」存在論は,これではない。

    「系─個」存在論は,非実体の存在論である。
    「存在」のことばが指すものは非実体であり,この意味で,「存在」のことばが指すものは,無い
    非実体の存在論は,「存在」と「自然」の関係については,せいぜいつぎのように述べるにとどまる:
      「人の立てる「存在」は,「自然」の表現である」
       (要点:「表現」は,「そのもの」ではない)