Up | アート | 作成: 2019-05-27 更新: 2019-05-27 |
体制が定める<常識/良識>に己を従わせて生きる。 服従は,ストレスになる。 体制に生きるとは,このストレスをやり過ごしながら生きるということである。 個の多様性は,この<やり過ごし>が下手・苦手な者を現す。 彼らは,ドロップアウトするか,常識/良識に反逆するかである。 常識/良識への反逆は,反社会的と見なされたらやっつけられる。 こうして,反逆に理知的と非理知的の別が現れる。 「理知的」の内容は,<やっつけられないギリギリの形を工夫する>である。 理知的反逆の方法論は,結局,ただ一つになる。 それは,<常識/良識の相対化>である。 ただし目論見は,<常識/良識の転覆>である。 相対化は,あくまでも転覆を展望した相対化である。 <常識/良識の転覆>の行為は,「表現」と呼ばれる。 表現者は,表現者たちの間で引かれ合う。 そして表現の技能・出来を競い合うようになる。 この中で,表現カテゴリーと<型>が醸成されていく。 これは「表現」が「アート」に進化するということである。 哲学の存在論は,アートの部類になる。 科学ではなくて,アートである。 だから,内容が荒唐無稽であって構わない。 アートの評価は,あくまでも機能性の評価であり,<常識/良識の転覆>を爽快に (派手に) やってくれたかどうかである。 |