Up 科学と大衆 作成: 2019-05-20
更新: 2019-05-20


    一般者は,「科学者」という生業を知らない。
    そして,「‥‥‥である」の中身をチェックしようとする者ではない。──実際,門外漢のため,チェックできない者である。
    こうして,メディアに載った「‥‥‥である」は,そのまま受けとる。
    これは,一般者にとって科学は宗教と同じになるということである。

    実際,存在論といえばひとが科学にではなくいまだに哲学に赴くのは,科学が専門的であり,哲学が日常感覚の次元のものだからである。

    一般者向けに科学をやさしく解説しようとした書籍は多いが,これらは宗教の「やさしい入門書」と同じである。
    それらが大事にする「やさしい」は,「リクツには触れないようにする」である。 リクツは知らなくていいとするわけだから,宗教である。

    大事なのは,リクツである。
    「やさしい」は,
      《「‥‥‥である」は,どんなリクツを以てこう言っているのか》
    のやさしい解説に向かわねばならない。
    一般者をリクツのわからない者に見なすとき,科学は宗教になる。