Up スケール 作成: 2019-08-01
更新: 2019-08-01


    「原子を東京ドームとすると,原子核はドームの中心においた一円玉」
    この類の表現をふつうに目にする。
    ひとはこの表現から,「ほとんど空っぽ」を受け取る。

    しかしすこし考えれば,この絵のおかしさ (荒唐無稽) に気づくことになる。
    「空っぽ」とは,「物が入る」である。
    「広い」は,「たくさん入る」であり,「狭い」は「少ししか入らない」である。
    この絵の「空っぽ」は,そこに入る物が無い。
    よって,それはそもそも空っぽではないわけである。

      ひとがこの絵をそのまま受け取ってしまうのは,「すこし考える」をしないためである。
      これを,「素直・無邪気」のことばで,人の長所のように思ってはならない。
      「素直・無邪気」は,「悪の粛清──正義の戦い」を思う類であり,テロリズムの芽である。
      「すこし考える」は,ことあるごとに注意されるべきものである。

    実際,いまは, 「ガス」を電子のイメージにして,空っぽを無くしている。──昔の原子モデルは,地球とこれを中心に回る月をなぞった「原子核とこれを中心に回る電子」であった。


    上の例は,「自然階層」を立てるときの「スケール」の概念が,自明でないことを示している。
    数字を使えば「10-10 m」などと簡単に書けてしまうが,改めて考えれば,こ
    の表現の意味は不明である。──そもそも意味をもつのか疑われる。

    物差しは,自分の身の丈の素材でつくる。
    尺をつくって,これに目盛りを刻む。
    原子の存在階層の物差しは,原子の身の丈の素材でつくることになる。
    尺をつくって,これに目盛りを刻む。
    これがどのようなものになるかは,自明でない。

    「自然階層」の考えでは,階層が違えばものさしも違ってくることになる。
    そこで,「スケールの換算」が実は問題になる。
    一方ひとは,「10-10」の表現を受け入れることで,この問題を見過ごす。


    では,物理学のテクストに載っている「原子の大きさ 10-10 m,陽子の大きさ 10-15 m」の類は何なのか。
    それは,論理モデルと論理計算から出てくるものである。

    スケール問題は,スケールが大きくなる方向──宇宙スケール──でも同様である。
    「宇宙の大きさ 1027 m」の類は,論理モデルと論理計算から出てくるものである。

    物理学は,「論理は普遍的」の立場で作業している。
    この立場は,確信犯的である。
    事実は,「その論理は人間の存在階層に属する」である。
    ひとは,人間の存在階層を超える存在階層の論理を考えることができない。
    そこで,人間の存在階層の論理をそのまま延長する。
    スケールも,このうちである。
    人間の存在階層のスケールを,存在階層を超えてもそのまま用いる。