Up 進化論 作成: 2019-06-20
更新: 2019-06-20


    岩山のてっぺんから,ボールを転がす。
    どう転がっていくかは予想が立たない。
    偶然の連続だからである。

    直径百メートルのボールだと,蓋然的予想が立ってくる。
    このスケールだと,岩山のごつごつがだいぶ(なら)されてくるからである。

    直径千メートルのボールだと,どう転がるかは最初の一押しで決まる。
    実際,このスケールだと岩山は無いに等しい

    このように,偶然か蓋然か必然かは,スケールの問題である。


    哲学が決定論的な物言いをするのは,「夜郎自大」だからである。
    哲学にとって世界は,自分が尺度になるものである。
    翻って,偶然論が哲学のアンチテーゼになる。

    系は,時間変化する。
    変化が<偶然の進捗>であるとき,この変化を主題化する科学分野は進化論である。
    進化論は,偶然論の立て方の一つである。

    進化論は,歴史学として行うことになる。
    哲学にも<歴史>を方法論にしたものがある。
    ヘーゲルの系統である。
    しかし「夜郎自大」を抜けることがなく,哲学で終わった。

    ここに,ダーウィンの『種の起源』が現れる。
    人間を無数の種の中の一つに位置づけ,そしてどの種も歴史的存在であることを説く。
    これには,哲学的主体が何物でもないことが含意される。
    よって,哲学批判である。
    この哲学批判は強烈である。しかし暗黙的である。
    ひとはこの方法を学ぶべきである。