Up | 存在の問いの位置づけ : 要旨 | 作成: 2017-09-22 更新: 2019-06-03 |
世間的にはビョーキの問いである。 この問いは,どこから来るのか? この問いの源は,「わたしはなんでわたしなの?」である。 「わたしはなんでわたしなの?」の問いは,ひとに考える術を与えない。 どうしようもないので,問いのレベルを一つ下げて,「<わたし>とは何か?」を立問してみる。 ここで<わたし>は, 「自意識」のことではない。 生物個体の行動は,川面に流れる落ち葉の動きとは区別される。 前者には<主体>を見て後者には見ないわけである。 この<主体>が,ここでいう<わたし>である。 <わたし>は,ミミズにもウィルスにも措定される。 しかし「<わたし>とは何か?」の問いも,ひとに考える術を与えない。 どうしようもないので,問いのレベルをさらに下げて,「生物とは何か?」を立問してみる。 しかしこの問いは,「生物は非生物と何が違うか?」の問いを間にはさんで,「そもそも自然の中の物とは何か?」「そもそも自然とは何か?」の問いに至る。 「自然とは何か?」は,科学の趣の問いである。 哲学だと「存在とは何か?」になる。 しかし,問いの形が違えば,探求の形も違ってくることになる。 「自然とは何か?」だと,「調べる」になる。 「存在とは何か?」だと,「想う」になる。 前者は外に開き,後者は自分の殻に閉じこもる。 |