Up ニヒリズムの解決 作成: 2019-07-23
更新: 2019-07-23


    ひとの生活は,<社会的>と<個人的>が半分半分である。

    <社会的>は,<共同体ゲームを生きる>である。
    ゲームのルールが,社会規範になる。

    <個人的>は,<生物を生きる>である。
    ひとは,共同体ゲームのプレーヤーである前に,生物である。
    ここで生物の意味は,「己の繁殖を自己目的化した存在」である。


    <社会的>と<個人的>は,別次元である。
    <個人的>では,社会規範が無意味になる。
    ひとの成長は,この無意味に慣れ,さらにこれを当為にしていくことを含む。
    翻って,成長途上の者──若者──は,社会規範の無意味 (「不条理」) に戸惑う者になる。

    ここで,個人差が出てくる。
    戸惑いを自分の劣等のせいにする者と,社会の愚劣のせいにする者の2タイプが現れる。

    後者の社会に対する構えは,ニヒリズムになる。
    社会を愚劣と定めるためには<まっとう>を対置せねばならないが,その<まっとう>を立てられないからである。
    依るものが何もない(てい)になってしまうのである。


    ニヒリズムには,重篤に進むものがある。
    「存在のニヒリズム」である。
    これは,形而上学的ニヒリズムということになる。


    ニヒリズムは,自我肥大の(てい)とこの体での自足が,要点である。
    「社会対自分」「存在対自分」という立て方において,自我肥大している。
    大きなものの一点にニヒリズムを気取らせれば,それは滑稽図になる。
    ニヒリズムの自足は,この図が見えない様である。

    「大きなもの」とは,即ち自然である。
    翻って,ニヒリズムは,自然を学ぶことで解決されるものである。
    ──それだけのものである。