Up 「古語」 作成: 2018-06-14
更新: 2018-06-14


      『古事記伝』「古記典等総論」
    さて書紀は、同宮に御宇高瑞浄足天皇御世、養老四年にいできつと、続紀に記されたれば、彼は此記\に八年おくれてなむ成ねりけむ。
    さて此記は、字の(アヤ)をもかざらずて、もはら古語をむねとはして、古(マコト)のありさまを失はじと(ツトメ)たること、序に見え、又今次々に云が如し。
    然るに彼書紀いできてより、世人おしなべて、彼をのみ(タフト)み用ひて、此記は名をだに知ぬも多し。
    所以(ユエ)はいかにといふに、漢籍(カラブミ)学問(マナビ)さかりに行はれて、何事も彼国のさまをのみ、人毎にうらやみ好むからに、書紀の、その漢国の国史と云ふみのさまに似たるをよろこびて、此記のすなほなるを見ては、(マサ)しき国史の(サマ)にあらずなど云て、取ずなりぬるものぞ。
     ‥‥
    此の記の優れる事をいはむには、先ず上代に書籍と云物なくして、たゞ人の口に言伝へたらむ事は、必ず書紀の文の如くには非ずて、此の記の詞のごとくにぞ有りけむ。
    彼はもはら漢に似るを旨として、其の文章をかざれるを、此れは漢にかゝはらず、古の語言を失はぬを主とせり。
    抑も(ココロ)と事と(コトバ)とは、みな相(カナ)へる物にして、上代は、意も事も言も上代、後代は、意も事も言も後代、漢国(カラクニ)は、意も事も言も漢国なるを、書紀は、後代の意をもて、上代の事を記し、漢国の言を以皇国(ミクニ)の意を記されたる故に、あひかなはざること多かるを、此の記は、いささかもさかしらを加へずて、古より云たるまゝに記されたれば、その意も事も言も相(カナヒ)て、皆上代の(マコト)なり。
    もはら古語言(コトバ)(ムネ)としたるが故ぞかし。
    すべて意も事も、言を以て伝るものなれば、(フミ)はその記せる言辞(コトバ)(ムネ)には有りける。
    又書紀は、漢文章(カラブミノアヤ)を思はれたるゆゑに、皇国(ミクニ)の古言の(アヤ)は、(ウセ)たるが多きを、此の記は、古言のままなるが故に、上代の言の(アヤ)も、いと美麗(ウルハ)しきものをや。
     ‥‥
    抑も皇国に古き国史といふ物、外に伝はらざれば、其の体と例に引くは、漢のなるべければ、その体備れりといふも、漢のに似たるをよろこぶなり。
    もし漢に辺つらふ心しなくば、彼に似ずとて何事かはあらむ。
    すべて万の事、漢を主として、よさあしさを定むる、世のならひこそいとをこなれ、爰に吾が岡部大人、東国の遠朝廷の御許にして、古学をいざなひ賜へるによりて、千年にもおほく余るまで、久しく心の底に染着たる、漢籍意のきたなきことを、且々もさとれる人いできて、此の記の尊きことを、世人も知初たるは、学の道には、神代よりたぐひもなき、彼の大人の功になむありける。
    宣長はた此の御蔭に頼て、此の意を悟り初て、年月を経るまにまに、いよよ益々からぶみごころの穢汚きことをさとり、上代の清らかなる正実をなむ、熟らに見得てしあれば、此の記を以て、あるが中の最上たる史典を定めて、書紀をば、是が次に立る物ぞ、かりそめにも皇大御国の学問に心ざしなむ徒は、ゆめ此の意をなおもひ誤りそ
     ‥‥
    かにかくにこの漢の習気(ナラヒ)(アラ)(スツ)るぞ、古学(イニシヘマナビ)(ツトメ)には有ける。
    然るを世々の物知人(モノシリビト)の、書紀を(トケ)るさまなど、たゞ漢の潤色(カザリ)(フミ)のみをむねとして、その義理(コトワリ)にのみかゝづらひて、本とある古語をば、なほざりに思ひ(スグ)せるは、かへすがへすもあぢきなきわざなり。
    語にかゝはらず、義理(コトワリ)をのみ(ムネ)とするは、異国(アダシクニ)の儒佛などの、教戒(ヲシヘゴト)の書こそさもあらめ、大御国の古書は、(シカ)人の教戒(ヲシヘ)をかきあらはし、はた物の(コトワリ)などを(アゲツラ)へることなどは、つゆばかりもなくてたゞ古を記せる(コトバ)の外には、(ナニ)(カク)れたる(コゝロ)をも(コトワリ)をも、こめたるものにあらず。
    [語の外に教戒をこめたりといふは、なほ漢にへつらへるものなり。]
    まして其文字は、後に(アテ)たる(カリ)の物にしあれば、深くさだして何にかはせむ。
    (タゞ)いく(タビ)も古語を考へ(アキ)らめて、古ヘのてぶりをよく知こそ、学問(モノマナビ)(ムネ)とは有べかりけれ。
    凡て人のありさま心ばへは、言語(モノイヒ)のさまもて、おしはからるゝ物にしあれば、上代の萬の事も、そのかみの言語をよく(アキ)らめさとりてこそ、知べき物なりけれ。