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『古事記伝』「古記典等総論」
さて書紀は、同宮に御宇高瑞浄足ノ天皇ノ御世、養老四年にいできつと、続紀に記されたれば、彼は此記\に八年おくれてなむ成ねりけむ。
さて此記は、字の文をもかざらずて、もはら古語をむねとはして、古ヘの実のありさまを失はじと勤たること、序に見え、又今次々に云が如し。
然るに彼ノ書紀いできてより、世ノ人おしなべて、彼レをのみ尊み用ひて、此記は名をだに知ラぬも多し。
其ノ所以はいかにといふに、漢籍の学問さかりに行はれて、何事も彼ノ国のさまをのみ、人毎にうらやみ好むからに、書紀の、その漢国の国史と云フふみのさまに似たるをよろこびて、此記のすなほなるを見ては、正しき国史の体にあらずなど云て、取ラずなりぬるものぞ。
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此の記の優れる事をいはむには、先ず上代に書籍と云物なくして、たゞ人の口に言伝へたらむ事は、必ず書紀の文の如くには非ずて、此の記の詞のごとくにぞ有りけむ。
彼はもはら漢に似るを旨として、其の文章をかざれるを、此れは漢にかゝはらず、古の語言を失はぬを主とせり。
抑も意と事と言とは、みな相称へる物にして、上ツ代は、意も事も言も上ツ代、後ノ代は、意も事も言も後ノ代、漢国は、意も事も言も漢国なるを、書紀は、後ノ代の意をもて、上ツ代の事を記し、漢国の言を以テ、皇国の意を記されたる故に、あひかなはざること多かるを、此の記は、いささかもさかしらを加へずて、古ヘより云ヒ伝ヘたるまゝに記されたれば、その意も事も言も相称て、皆上ツ代の実なり。
是レもはら古ヘの語言を主としたるが故ぞかし。
すべて意も事も、言を以て伝フるものなれば、書はその記せる言辞ぞ主には有りける。
又書紀は、漢文章を思はれたるゆゑに、皇国の古言の文は、失たるが多きを、此の記は、古言のままなるが故に、上ツ代の言の文も、いと美麗しきものをや。
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抑も皇国に古き国史といふ物、外に伝はらざれば、其の体と例に引くは、漢のなるべければ、その体備れりといふも、漢のに似たるをよろこぶなり。
もし漢に辺つらふ心しなくば、彼に似ずとて何事かはあらむ。
すべて万の事、漢を主として、よさあしさを定むる、世のならひこそいとをこなれ、爰に吾が岡部大人、東国の遠朝廷の御許にして、古学をいざなひ賜へるによりて、千年にもおほく余るまで、久しく心の底に染着たる、漢籍意のきたなきことを、且々もさとれる人いできて、此の記の尊きことを、世人も知初たるは、学の道には、神代よりたぐひもなき、彼の大人の功になむありける。
宣長はた此の御蔭に頼て、此の意を悟り初て、年月を経るまにまに、いよよ益々からぶみごころの穢汚きことをさとり、上ツ代の清らかなる正実をなむ、熟らに見得てしあれば、此の記を以て、あるが中の最上たる史典を定めて、書紀をば、是が次に立る物ぞ、かりそめにも皇大御国の学問に心ざしなむ徒は、ゆめ此の意をなおもひ誤りそ
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かにかくにこの漢の習気を洗ひ去るぞ、古学の務には有リける。
然るを世々の物知人の、書紀を説るさまなど、たゞ漢の潤色ノ文のみをむねとして、その義理にのみかゝづらひて、本とある古語をば、なほざりに思ひ過せるは、かへすがへすもあぢきなきわざなり。
語にかゝはらず、義理をのみ旨とするは、異国の儒佛などの、教戒の書こそさもあらめ、大御国の古書は、然人の教戒をかきあらはし、はた物の理などを論へることなどは、つゆばかりもなくてたゞ古ヘを記せる語の外には、何の隠れたる意をも理をも、こめたるものにあらず。
[語の外に教戒をこめたりといふは、なほ漢にへつらへるものなり。]
まして其ノ文字は、後に當たる假の物にしあれば、深くさだして何にかはせむ。
唯いく度も古語を考へ明らめて、古ヘのてぶりをよく知ルこそ、学問の要とは有ルべかりけれ。
凡て人のありさま心ばへは、言語のさまもて、おしはからるゝ物にしあれば、上ツ代の萬ヅの事も、そのかみの言語をよく明らめさとりてこそ、知ルべき物なりけれ。
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