Up 現成論 作成: 2018-09-23
更新: 2018-09-23


    思想は,経験値を積んで,幼さを減らしていく。
    幼さは,世界観の幼さである。
    そして「幼さを減らす」の内容は,「世界が複雑系として見えてくる」である。

    こうして,思想が老成する形は,「現成論」である:
      「天網恢々疎にして漏らさず」(老子)
      「柳緑花紅真面目」「廬山烟雨浙江潮」(蘇東坡?)
      「The year's at the spring
       And day's at the morn;
       Morning's at seven;
       The hill-side's dew-pearled;
       The lark's on the wing;
       The snail's on the thorn:
       God's in His heaven--
       All's right with the world! 」(Browning)
    そしてつぎが,本居宣長の言い方である:
       本居宣長『玉くしげ』
    さて又上に申せるごとく、世ノ中のありさまは、萬事みな善惡の神の御所爲なれば、よくなるもあしくなるも、極意のところは、人力の及ぶことに非ず、
    神の御はからひのごとくにならでは、なりゆかぬ物なれば、此根本のところをよく心得居給ひて、たとひ少々國のためにあしきこととても、有來りて改めがたからん事をば、俄にこれを除き改めんとはしたまふまじきなり、
    改めがたきを、強て急に直さんとすれば、神の御所爲に逆ひて、返て爲損ずる事もある物ぞかし、
    すべて世には、惡事凶事も、必ズまじらではえあらぬ、
    神代の深き道理あることなれば、とにかくに、十分善事吉事ばかりの世ノ中になす事は、かなひがたきわざと知ルべし、
    然るを儒の道などは、隅から隅まで掃清めたるごとくに、世ノ中を善事ばかりになさんとする敎にて、とてもかなはぬ強事なり、
    さればこそかの聖人といはれし人々の世とても、其國中に、絶て惡事凶事なきことは、あたはざりしにあらずや、
    又人の智慧は、いかほどかしこくても限ありて、測り識りがたきところは、測り識ことあたはざるものなれば、善しと思ひて爲ることも、實には惡く、惡しゝと思ひて禁ずる事も、實には然らず、
    或は今善き事も、ゆくゆくのためにあしく、今惡き事も、後のために善き道理などもあるを、人はえしらぬことも有リて、すべて人の料簡にはおよびがたき事おほければ、とにかくに世ノ中の事は、神の御はからひならでは、かなはぬものなり、


    現成論は,つぎの問いを受けることになる:
     「 然らば何事もたゞ、神の御はからひにうちまかせて、よくもあしくもなりゆくまゝに打捨おきて、人はすこしもこれをいろふまじきにや」(同上)
    実際,この問いに対する答え方のいろいろが,現成論のいろいろになる。

    禅だと,つぎのようになる:
     「 麻浴山(まよくざん)寶徹禪師,あふぎをつかふちなみに,僧きたりてとふ。
    「風性(じょう)常住,無處不周」なり,なにをもてか,さらに和尚あふぎをつかふ。
    師いはく,なんぢただ「風性常住」をしれりとも,いまだ<「ところとしていたらずといふことなき」道理>をしらずと。
    僧いはく,いかならんかこれ<「無處不周底」の道理>。
    ときに,師,あふぎをつかふのみなり。
    僧,禮拜す。
    佛法の證驗,正傳の活路,それかくのごとし。
    「常住なればあふぎをつかふべからず,つかはぬをりもかぜをきくべき」といふは,常住をもしらず,風性をもしらぬなり。」(道元『正法眼蔵」「現成公案」)
     「 災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。
    死ぬる時節には死ぬがよく候。
    是はこれ災難をのがるる妙法にて候」(良寛)
    言うところは:
     「 そのときにはそのときの行動が現れる。これも<現成>のうち。」

    そしてつぎが,本居宣長の言い方である:
       本居宣長『玉くしげ』
    然らば何事もたゞ、神の御はからひにうちまかせて、よくもあしくもなりゆくまゝに打捨おきて、人はすこしもこれをいろふまじきにや、と思ふ人もあらんか、
    これ又大なるひがことなり、
    人も、人の行ふべきかぎりをば、行ふが人の道にして、そのうへに、其事の成と成ざるとは、人の力に及ばざるところぞ、といふことを心得居て、強たる事をば行ふまじきなり、
    然るにその行ふべきたけをも行はずして、たゞなりゆくまゝに打捨おくは、人の道にそむけり、
    此ノ事は、神代に定まりたる旨あり、
    大國主命、此ノ天下を皇孫尊に避奉り、天神の勅命に歸順したてまつり給へるとき、天照大御神高皇産靈大神の仰せにて、御約束の事あり、
    その御約束に、今よりして、世ノ中の顯事は、皇孫尊これを所知看すべし、大國主命は、幽事を所知べしと有リて、これ萬世不易の御定めなり、
    幽事とは、天下の治亂吉凶、人の禍福など其外にも、すべて何者のすることと、あらはにはしれずして、冥に神のなしたまふ御所爲をいひ、顯事とは、世ノ人の行ふ事業にして、いはゆる人事なれば、皇孫尊の御上の顯事は、即チ天下を治めさせ給ふ御政なり、
    かくて此ノ御契約に、天下の政も何も、皆たゞ幽事に任すべしとは定め給はずして、顯事は、皇孫尊しろしめすべしと有ルからは、その顯事の御行ひなくてはかなはず、又皇孫尊の、天下を治めさせ給ふ、顯事の御政あるからは、今時これを分預かり給へる、
    一國一國の顯事の政も、又なくてはかなふべからず、
    これ人もその身分身分に、かならず行ふべきほどの事をば、行はでかなはぬ道理の根本なり、
    さて世ノ中の事はみな、神の御はからひによることなれば、顯事とても、畢竟は幽事の外ならねども、なほ差別あることにて、其差別は譬へば、神は人にて、幽事は、人のはたらくが如く、世ノ中の人は人形にて、顯事は、其人形の首手足など有リて、はたらくが如し、
    かくてその人形の色々とはたらくも、實は是レも人のつかふによることなれども、人形のはたらくところは、つかふ人とは別にして、その首手足など有リて、それがよくはたらけばこそ、人形のしるしはあることなれ、
    首手足もなく、はたらくところなくては、何をか人形のしるしとはせん、
    此差別をわきまへて、顯事のつとめも、なくてはかなはぬ事をさとるべし、


    特に,本居宣長は,単純に復古主義者というわけではない:
       同上
    抑かやうに、西の方の外國より、さまざまの事さまざまの物の渡り入來て、それを取用ふるも、みな善惡の神の御はからひにて、これ又さやうになり來るべき道理のあることなり、 ‥‥
    さてさやうに、世ノ中のありさまのうつりゆくも、皆神のみ所爲なるからは、人力の及ばざるところなれば、其中によろしからぬ事のあればとても、俄に改め直すことのなりがたきすぢも多し、
    然るを古ヘの道によるとして、上の政も下々の行ひも、強て上古のごとくに、これを立直さんとするときは、神の當時の御はからひに逆ひて、返て道の旨にかなひがたし、
    されば今の世の國政は、又今の世の模様に従ひて、今の上の御掟にそむかず、有リ來りたるまゝの形を頽さず、跡を守りて執行ひたまふが、即チまことの道の趣にして、とりも直さずこれ、かの上古の神隨治め給ひし旨にあたるなり、