Up おわりに 作成: 2017-09-29
更新: 2017-09-29


    『存在と時間』は,思想に対する効果は無い。
    『存在と時間』の効果は,「経済的効果」として拾うことになる。

    『存在と時間』の経済的効果は,つぎのものである:
    • 「現象学屋」という職種の創出への貢献
    • 「現象学物」という商品の創出への貢献

    ただし,現象学は,一時(いっとき)の流行である。
    現象学は,何かに応用できるというものではないからである。
    「応用できる」と思って現象学の流行に乗った者は,流行が過ぎた後で自分も不明・軽率を恥じることになる。


    「哲学者」を職種にしている者は,哲学をする者ではなく,特定哲学者の文献研究を仕事にする者である。
    この研究は,本質的に貧しい。
    研究は,貧しさを隠蔽する方法として,ひどく細々(こまごま)した物言いを開発していく。

    貧しさは,ワラジムシの研究と比較してみるとわかる。
    ワラジムシの研究は,豊かである。
    ワラジムシの研究は,ひどく細々したことをやることになるが,この「細々」は「細々した物言いをする」ではない。
    「貧しい・豊か」の違いは,ひとのつくったものの含蓄量と自然で成ったものの含蓄量の絶対的違いである。
    もともと貧しいものの研究は,貧しい研究になるしかない。

    『存在と時間』の研究は,貧しい。
    貧しさから,ひどく細々した物言いを営みにしていく。


    『存在と時間』を現象学すれば,こんなふうになる。

    『存在と時間』屋は,『存在と時間』の虚像をつくる。
    この虚像を鎮めるとする。
    どんな方法がこの場合の「理屈に適った方法」になるか。
    それは,彼らの説く現象学を逆手に取って,『存在と時間』を現象学してやるというものである。