Up  時間性 Zeitlichkeit 作成: 2017-09-30
更新: 2017-09-30


    時間は,時計がつくる。
    実際,時計になるものが何も無い空間は,時間はありようがない。

    『存在と時間』では,時計の役回りを現存在にもたせる。
    そして,現存在の時計性に,「時間性 Zeitlichkeit」の術語をあてる:
      細谷貞雄訳『存在と時間 (下)』
    p.208
    現存在が《本質的に》なるのは、先駆的覚悟性として構成される本来的実存においてである。
    p.214
     覚悟性は、将来的におのれへ帰来しつつ、おのれを現持的に状況のなかへ連れだす。
    既往性は将来から発源し、このことによって、既往せる (むしろ、既往しつつある) 将来がそのなかから現在を発遣する。
    このような形で既往的=現持的将来として統一的にある現象を、われわれは時間性 (Zeitlichkeit) となづけるのである。
    現存在は時間性として規定されているかぎりでのみ、上に標記したような、先駆的覚悟性の本来的全体存在可能を、おのれ自身に可能にするのである。
    時間性こそ、本来的な関心の意味として打ち明けられたわけである


    「時間は時計がつくる」は,『存在と時間』ではつぎのロジックになる:
     
    pp.218,219
     将来、既往性、現在は、《おのれへむかつて》,《‥‥‥へ立ち帰って》,《‥‥‥に対処して》という現象的性格をそなえている。
    《‥‥‥へむかつて》,《‥‥‥へ》,《‥‥‥のもとで》という諸現象は、時間性が端的に (脱自) であることをあらわにしている。
    時間性は、それ自体において、根源的な《脱自》(《Ausser-sich》)なのである
    そこでわれわれは、上に性格づけたような将来、既往性、現在の諸現象を、時間性の脱自態 (Ekstase) となづけることにする。
    時間性とは、まず存在していて、それがあとから自己のそとへ脱けだすというようなものではない。 時間性の本質は、これらの脱自態の統一において時熱することにある。
    これに対して、通俗的了解がとらえうる《時間》の特徴は、とりわけ、その時間が純粋な無始無終の今の連続であって、そこで時間性の脱自的性格が平板化されているという点にあるのである。
    しかしながら、この平板化そのものが、実はその実存論的意味からいえば、特定の可能的時熟にもとづいているのであって、この時熟の様相に応じて、非本来的時間性としての時間性が、右に挙げた《時間》を時熟させるのである。
    このように、現存在の常識が接しうる《時間》が根源的なものではなく、むしろ本来的時間性から派生したものである‥‥‥
    p.329
    Sie ist nicht vordem ein Seiendes, das erst aus sich heraustritt, sondern ihr Wesen ist Zeitigung in der Einheit der Ekstasen.
    Das Charakteristische der dem vulgären Verständnis zugänglichen »Zeit« besteht u. a. gerade darin, daß in ihr als einer puren, anfangs- und endlosen Jetzt-folge der ekstatische Charakter der ursprünglichen Zeitlichkeit nivelliert ist.
    Diese Nivellierung selbst gründet aber ihrem existenzialen Sinne nach in einer bestimmten möglichen Zeitigung, gemäß der die Zeitlichkeit als uneigentliche die genannte »Zeit« zeitigt.
    ‥‥‥ »Zeit« als nicht ursprünglich und vielmehr entspringend aus der eigentlichen Zeitlichkeit