Up 現成論作法 作成: 2015-04-10
更新: 2015-04-14


    (1) 現成論
    日本の政治選挙は,投票有権者の 20から50パーセントが棄権する。
    報道番組のコメンテータに登場の知識人が,「投票しますか,人間やめますか」の言を吐く。
    この言は,「20から50パーセントの国民は人間でない」と言っていることになる。

    投票する者を人間として立てる思想に対しては,投票しない者を人間として立てる思想が立つ。
    主体論は,根柢的に,この二つの思想に分類される。
    前者は,改良/改革/革命論である。
    後者は,現成論である。

    改良/改革/革命論は,<覚醒した個>を人の系の上に立てる。
    現成論は,系のダイナミクスの中に個を埋め込む。

      災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。
       死ぬる時節には死ぬがよく候。
       是はこれ災難をのがるる妙法にて候。
      」(良寛)


    (2) 知識人批判
    人は自惚れるものであるから,自分を<覚醒した個>に見なす。
    そして,自分を系に対立させ,改良/改革/革命を打(ぶ)つ。
    この行いは,はた迷惑をさんざんやるものになる。
    「マルクス主義批判」作法

    そこで,<覚醒した個>批判の論が立つ。
    例えば,吉本隆明が行った知識人批判は,これである。
    吉本は,知識人批判の裏返しとして「大衆論」を立てたが,その「大衆論」は実質現成論である。


    (3) 現成論の形(かた)
    現成論は,つぎがこれの形(かた) になる:
    1. 個は,生活/信仰/学問する。
    2. 生活/信仰/学問は,国家/教会/学校 (個を系に括るもの) を必要とする (現す)。
    3. ここで国家/教会/学校 (系) は,「渉外」がこれの機能である。


    (4) 渉外部は統率部に変質
    個は,渉外のために,互いを系として括り,渉外部をつくり出す。

    渉外において,系は単一の人格 (「法人」) でなければならない。
    渉外部は,この都合を,優先するものになる。
    渉外に都合の悪い系の形は,渉外部がとる立場を否定する考え・意見が系の中から出てくることである。
    実際,個は多様であるから,必ずこのようになる。

    そこで,渉外部は,系の統率部に変質する。
    個を一つの考え・意見に統率しようとする。

    こうして,統率部が出来上がる。
    国家/教会/学校の執行部は,生活/信仰/学問の統率部である。


    (5) 現成論の疎外論
    個は,渉外のために,互いを系として括り,渉外部をつくり出す。
    渉外部は,渉外の都合から,系の一致団結をつくろうとする。
    こうして,渉外部は統率部に変質する。

    個は多様であるから,「一致団結」は無理構造である。
    この構造において,個は系から疎外される。

    疎外される個は,統率部に対しつぎの考えをもつ:
      統率部は,(自分が思う)「正義」を実現すべきものである
    そして,統率部批判を行う。
    国家/教会/大学の執行部批判となるわけである。

    しかし,渉外部/統率部は,個の「正義」の延長ではない。
    国家/教会/大学 (系) は,生活/信仰/学問 (個) の理念の延長ではない。
    系に個の延長を求めるのは,カテゴリー・ミステイクである。


    (6) 親体制と反体制
    渉外で,系は一つの人格として立つ (「法人」)。
    この人格は,一つの考え・意見を外に対して示す。

    この一つの考え・意見は,系の一部の個の考え・意見を代表することになる。
    実際,優勢な派が,渉外部/統制部と結びつき,渉外部/統制部はこの派の考え・意見を代弁する格好になる。

    こうして,系の個の間に,親体制と反体制が現れる。
    統率部批判を行う者は,自分を「全体の正義」「普遍的正義」のように立てるが,彼らは「全体」でも「普遍」でもない。
    親体制と反体制は,「悪・愚」と「善・賢」の別ではなく,個の多様性の現れである。

    反体制には,しばしば鼻持ちならないものがある。
    自分のようでないのはダメだ」が,これである。


    (7) 革命批判
    現成論は,つぎの形の「革命批判」を含蓄するものになる:
      「革命」は,「疎外を無くす」の発想の行動である。
      系の括りは「必要悪」であるから,「疎外を無くす」は無理構造である。
      無理は,被害甚大を残して終わるのみである。
      「マルクス主義批判」作法

    一方,現成論は,「革命行動は無くならない」ことを知っている。
    現前には,「イスラム国」の事態がある。
    これは,革命である──かつての共産主義革命と変わるところはない。

    現成論では,現前は「何かの契機で起こってしまうこと──是非も無いこと」である。
    革命はこれの一つである。
    実際,現成論は,「選ばない,是非を立てない」がこれの方法論である。


    (8) 現成論の変革論
    現成論は,「系 - 個」の存在論と「系の括り様の変化」のダイナミクスの論である。
    「系の括り様」(「法人」の形) は,変化する。
    個の<その都度自分の位置取りを調整>の全体である系は,絶えず変化している。
    そしてこの変化は,あるとき「系の括り様」(「法人」の形) の変化に及ぶ。


    (9) 現成論の抵抗論
    「疎外される個」の主体論は,抵抗論の趣きになる。
    即ち,「個のその都度行う位置取りの調整」が,「抵抗」の相になる。
    実際,抵抗は,「個のその都度行う位置取りの調整」の主要/代表的な形の一つである。

      念のための確認:
      「抵抗」は,系を相手にするふうには立たない。
      即ち,系の外に立つものではない。
      あくまでも,「個の<その都度自分の位置取りを調整>」の一つである。
      系の掌の中にある。
      (系のウロボロス構造!)

    一方,ひとは「抵抗」に特別な意味・力を見ようとする。
    実際,これが人情というものである。
    この人情は,抵抗する・しないに優劣・善悪をつける。
    即ち,「抵抗」の方を「優・善」にする。
    抵抗貫徹は至難であるから,これを遂げている者を「聖」にする。
    そして,「抵抗しない」の方をつぎのように切る:
      「臆病者」「体制ベッタリ」
    抵抗からの脱落に対しては,つぎのように切る:
      「敵前逃亡」「裏切り」
    抵抗組織は,必然的に「一致団結」「一枚岩」を掲げるものになり,組織を統制的・規律的にしていく。
    これからの逸脱を懲罰するために,「非国民」のようなことばを作り出す。

    これは,抵抗の病理である。
    抵抗はふつうのことであるが,これに人情論が入ってくると,病理になる。


    (10) 現成論の困難・危うさ
    《投票有権者の 20から50パーセントが棄権》を主体論にするには,インテリジェンスを要する。
    改良/改革/革命論の方は,改良/改革/革命のスローガンに見て取れるように,インテリジェンスは要らない。
    投票しますか,人間やめますか」でよいわけである。
    改良/改革/革命論は,小児の論である。
    現成論は大人の論である。

    現成論作法の要点は,現実主義・現状肯定と画することである。
    現成論は,調子に乗ると,現状肯定になる。
    現実・現状は肯定されるものではない。
    現実主義的大人は,理想主義的子ども (改良/改革/革命論) の目には,敗北主義であり,堕落である。
    下手な現成論は,敗北主義・堕落の論になる。


    (11) 現成論は科学指向
    人は,物事に対し「選ぶ・是非を立てる」で臨む。
    イデオロギーは,「選ぶ・是非を立てる」を行う。
    これに対し,現成論は,「選ばない,是非を立てない」がこれの方法論である。
    「そんなもんだね」「ひとさまざまだね」を立てる。
    「選ぶ・是非を立てる」の立場では「極悪非道」になることも,現成論では「そんなもんだね」「ひとさまざまだね」になる。

    実際,「選ぶ・是非を立てる」は,無理をやっていることになる。
    「選ばない,是非を立てない」は,科学の立場である。
    例えば,生物界は人間感覚だと「極悪非道」の系だが,生物界はこれがアタリマエなわけである。

    現成論は,人情論と科学を峻別する。
    現成論は,科学指向である。

    現成論の手本は,化学である。
    化学は,現実・現状を現している法則の記述であって,現実・現状の肯定ではない。
    実際,化学に対し,現実主義・現状肯定を言う者はいないわけである。

      化学のアナロジーでは,「個のその都度行う位置取りの調整」は化学反応である。
      特に,「抵抗」は化学反応である。
      それは,確率的事象であって,抵抗する者・しない者がある確率で現れる。
      それだけのことであって,抵抗する・しないはこの間に価値の差をつけるものではない。


    (12) 現成論の実践的メリット
    抵抗でも,反抗と科学の二つの形がある。
    反抗(相手攻撃)は,相手からやっつけられる。
    科学(相手定位を含む)は,やっつけられない。

      天動説を唱える者はバカだ」と言えば,やっつけられる。
      科学すると,地動説になる。一方,天動説が唱えられてきたのにはこのような事情・合理がある」と言えば,やっつけられない。

    翻って,やっつけられるうちは,科学の自分の論法がまだ未熟だということである。

     註 : 人の行う反抗には,「反抗のための反抗」というのもある。
    この反抗は,相手からやっつけられることを求める。
    「相手からやっつけられなければ反抗でない」となる。


    (13) <現成論をつくるわたし>の主体論
    現成論をつくる者は,<現成論をつくるわたし>の主体論を,自ずと課題にもつ者になる。
    現成論は,問題の外に立つ。
    <現成論をつくるわたし>は,問題の中にいる。

    この自己分裂は,両者の折り合いを考えるものではない。
    「自分は殺されるのは嫌だ」と「殺人に是非もなし」の間に,折り合いはない。
    二つは,次元の違う論である。
    次元の違う論は,すれ違わせておくのみである。

    <現成論をつくるわたし>の主体論がどんな形に収束するかというと,最初からわかることであるが,つぎのアタリマエに収束する:
      科学論として,「そんなもんだね」「ひとさまざまだね」を言う。
      自分に係わることに関しては,利害で振る舞う。  
    このアタリマエを,もっともらしい意匠を施して思想にしようとすると,しくじる。