Up | はじめに | 作成: 2020-02-21 更新: 2020-03-05 |
この命題を措いてみて,はたと思いついた。 <お里がコミュニズム>は,シュールレアリズムもそうだった。 フランス「五月革命」のときのサルトルといい,<お里がコミュニズム>は 20世紀フランス知識人の思想の体質のようだ。
今後も「新思潮」の趣で登場するものは,昔の思想の蒸し返し──標題を変えたもの──である。 ポストモダンは,曖昧に消えていった。 シュールレアリズムもそうである。 実際,これらは,曖昧に消えるという形で終わるのみである。 なぜか。 それが,革命思想の終わり方だからである。 革命は,成らない。 よって,革命思想は曖昧に消えて終わるのみなのである。 このことを,『革命屋自滅の公式』と題して,メモ的に簡単に書き留めておこうとしたのだが,やってみるとやはり1ページで収めるのは無理となった。 それどころか,(いつものことなのだが) けっこうな構成の論考になる気配である。 この「はじめに」も,論考の進み具合に応じて変更される定めにある。
構成は,小理論の体系化の趣きになる。 この中で,当初論じようとした題目が,体系の中心から外れていくということが起きてくる。 本論考も,こうなってきた。 最初に立てた題目は『革命屋自滅の公式』であったが,いまは全体4部構成のうちの最後の部である。 全体を眺めてみて,いまの構成にかなっている題目は『精神主義』のようである。 そこで,本日からこの題目に改める。 |