Up ルサンチマン ("Tarantel") 作成: 2020-03-04
更新: 2020-03-04


      Nietzsche (1885),「毒ぐもタランテラ」より
    見なさい、これが毒ぐもタランテラの穴だ! その正体を見たいと望むのか?
    ここにくもの巣がかかっている。さわって、ふるわせてごらん。
    くもがいそいそと出て来た。よく出て来た、タランテラ! 
    おまえの背中には、黒い三角のしるしがついている。おまえの魂のなかにあるものも、わたしには見当がついている。
    おまえの魂のなかにあるのは復讐の一念だ。
    おまえに噛まれると、真黒なかさぶたができる。
    おまえの毒は復讐心を植えつけて、人びとの心を狂わせ、踊らせる。
    平等の説教者たちよ!  
    わたしが諸君に話しているのは比喰だ。諸君も人びとの心を狂わせ、踊らせるではないか。諸君は毒ぐもタランテラだ。
    隠れた復讐心の持ち主だ!
    しかし、わたしは諸君の隠しているものを明るみに出してやろう。
    わたしが諸君に面とむかつて、わたしの高山の哄笑をあびせかけるのもそのためだ。
    わたしが諸君のくもの網をこわすのもそのためだ。
    諸君を怒らせ、嘘でかためたその穴からおびきだし、諸君の口癖の「正義」の背後から、諸君の復讐心をおどりださせようとするわけだ。
    なぜなら、人間が復讐心から解放されること、これがわたしにとって、最高の希望への橋であり、長期の悪天候のあとの虹であるから。
    もちろんタランテラの願うところは、そうではない。
    「世界中に、われわれの復讐心で暗くなった悪天候がゆきわたること、これをわれわれは正義と呼ぶ」──かれらはたがいにこう語りあう。
    「われわれに対して等しくないすべての者に、復讐と誹謗を加えよう」──タランテラたちは心をあわせて、こう誓う。
    「そして『平等への意志』──これこそ将来、道徳の名にかわるべきものだ。権力を持つ一切のものに反対して、われわれはわれわれの叫びをあげよう!」
    諸君、平等の説教者たちよ!
    してみれば、権力にありつかない独裁者的狂気が、諸君のなかから、「平等」を求めて叫んでいるのだ。
    諸君の、ふかく秘められた独裁者的情欲が、こうした道徳的なことばの仮面をかぶっているのだ!
    傷つけられた自負、抑圧された嫉妬、おそらくは諸君の父祖の自負であり、嫉妬であったものが、諸君のなかから、復讐の炎となり、狂気となってほとばしり出てくるのだ。
    父親が黙って押隠していたものが、息子になると、口をききだす。
    わたしはしばしば息子が、暴露された父親の秘密であるのを見た。
    この説教者たちは、いかにも感激に駆られている者といったふうだ。しかしかれらを興奮させているのは、純真な感情ではなくて、──復讐の念なのだ。
    またかれらが緻密で冷静になるなら、それは精神がそうさせるのではなくて、かれらの嫉妬が緻密で冷静にさせるのである。
    かれらの敵愾心は、またかれらをして思想家の道を歩ませもする。
    それが敵愾心だということは、──かれらがいつも行きすぎをやることでわかる。
    あげくのはては、かれらは疲労のあまり雪の原で行き倒れになったりする。
    かれらがあげるすべての不平の声からは、復讐の念が聞こえる。
    かれらが呈するすべての讃辞には、ひとを傷つける意図がある。
    ひとを裁く者だということが、かれらには無上の幸福と思われる。
    しかし、わが友人たちよ、わたしはあなたがたに、こう勧める。
    ひとを罰しようという衝動の強い人間たちには、なべて信頼を置くな!
    かれらは悪質で、素姓の劣った人間たちなのだ。
    かれらの顔からのぞいているのは、首斬り人と密偵だ。
    自分の正義をしきりに力説する者すべてに、信頼を置くな!
    まことに、かれらの魂に欠けているのは、円熟の蜜ばかりではない。
    たとえ、かれらがみずから「善くて(ただ)しい者」と称していても、あなたがたは忘れてはならない。
    かれらがパリサイ人となるために欠けているのは、ただ──権力だけであることを。
    わが友人たちよ、わたしをほかの者と混同したり、取り違えたりしてくれるな。
    生についてのわたしの教えと同じものを説く者がいる。
    それが同時に平等の説教者、すなわち毒ぐもでもあるのだ。
    毒ぐもどもは、その穴のなかにひそんで、生に背いているにもかかわらず、しかも生を讃え強調する。
    これはその相手に打撃を与えようという意図だ。
    その相手とは、現に権力を掌握している者たちのことだ。
    この権力者たちのあいだでは、いまもなお死の説教がはばをきかせているからである。
    もしそうした事情がなければ、タランテラどもはまた別の教えを説いたであろう。
    その昔、,最もたくみに世界を誹謗し、異端者を火あぶりにした者たちも、ほかならぬこの毒ぐもの一族であった。


    引用文献
    • Nietzsche (1885) : Also sprach Zarathustra
        氷上英廣 [訳]『ツァラトゥストラはこう言った (上下)』(岩波文庫), 岩波書店, 1967.