Up | 『リゾーム』とは | 作成: 2020-03-04 更新: 2020-03-04 |
A.ブルトンの『シュールリアリズム宣言』と同型の,精神革命宣言である。 『シュールリアリズム宣言』との違いは,宣言しようとする精神の内容である。 即ち,『シュールリアリズム宣言』が<無意識/深層心理>であるのに対し,『リゾーム』は<「自己組織化する系」の存在論>である。 『リゾーム』の中にある「精神分析」批判は,この差別化をしようとするものである。 (2) 「リゾーム」 これに尽きる。 「リゾーム」の説明では,いかにも奇を (3) 「シニフィアンの覇権」
だからなんだというのだ。 「樹木状システム」は,道具である。 道具は,<自然>の写しではないし,<自然>の写しである必要もない。
否である。 (4) 「エクリチュール」 そこで,彼らの精神革命宣言は,エクリチュール論になる。
この癖と無縁なことを後ろめたく思う必要はない。 『シュールリアリズム宣言』では,エクリチュールは<無意識/深層心理>に順うべきものである。 『リゾーム』では,エクリチュールは<「自己組織化する系」の存在論>に順うべきものである。 実際には,彼らは,向かうべきエクリチュールの形を示すことができない。 「ごく稀な成功例」を挙げて,《ゴールはある》を仄めかすだけである。 この点も,『シュールレアリズム宣言』とまったく同じである。 (5) 「地図」 そのしょーもなさは,「構造的・生成的モデル」に「地図」を対置するところではっきりしてくる。
リゾーム──自己組織化する系──の簡単な例として,ムクドリの群飛 (集団の形の目まぐるしい変化) をとりあげよう。 これの地図を書くとは,個々のムクドリの定位を3次元座標軸の導入を以て成し,群れの形の時間的変化を時間軸の追加によって表す,というものである。 したがって,ムクドリの群飛の地図は,4次元になる。 ──現実の地図にするときは,時間軸を<頁>に変えて,地図帳 (歴史地図) にする。 この地図は,つくる者はいないし,つくってもありがたがる者はいない。 ひとがムクドリの群飛を捉えたいと思うとき,その方法は,「地図」ではなく,「構造的・生成的モデル」である。 集団の形を変化させているものは,フィードバックのダイナミクスである。 そして「フィードバック」の内容は,《ムクドリの個々が,自分の近くの個 (複数) の動きに反応する》である。 この反応の数式モデルをつくり,コンピュータでシミュレーションしてみる。 そしてムクドリの実際の群飛がだいたい再現されたら,ムクドリの群飛が捉えられたとするのである。 『リゾーム』の著者は,「構造的・生成的モデル」の思考法を「最古の思考にもとづくヴァリエーション」と言い,「地図」を正しい思考に定めるわけだが,彼らがなんと言おうと,ひとはこの場合「最古の思考にもとづくヴァリエーション」の方を択ることになる。 「正しい・正しくない」が問題ではなく,「使える・使えない」が問題だからである。 (6) 「東洋」
西欧インテリの「東洋」幻想である。 自分のことを《「西欧」に疎外されている》と思う者は,「東洋」幻想をつくる。 (7) 「数学」
これも,「東洋」幻想の類の勘違いである。 そもそも,数学は,工学・科学に供する言語として開発されてきた言語である。 数学は,形式言語である。 文字 (記号),語生成規則,文生成規則,公理,推論規則を構え,ここから数学の生成が開始される。 数学の実質的な対象は,「数」のみである。──これは構成される。 「数」以外の対象は,「条件‥‥を満たすもの」というふうに導入 (定義) される。 数学に対して「形式の学」の言われ方がされるが,以上がこのことばの意味になるものである。 科学を「樹木状システム」の理由で退けたいのなら,「樹木状システム」の最たるものが数学である。 「それらは科学なんかじゃなくて,驚異的な隠語。それもノマド的な隠語なのだ」の言は,著者が己の浅はかを曝すしくじりである──ひとには気づかれずに済むかも知れぬが。 (8) 宣言
彼らは,自分自身つかめていないことを,スローガンに掲げる。 このスタンスに彼らはなぜ自足していられるのか。 体質が革命屋だからである。 革命屋は,羅針盤をポーズし,これだけで大きな仕事をやっていると思う者である。 「自分は進路を示した,後は<人民>が中身を埋めるばかり」というわけである。 この宣言に応える/応えられる者はいない。 荒唐無稽を言っているからである。 荒唐無稽は,うっちゃっておくのみである。
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