Up | 画一化社会・全体主義・聖職 | 作成: 2020-05-17 更新: 2020-05-18 |
画一化社会は,多様な個を画一化する社会である。 「個の多様性」は,「画一化から外れる者が存在する」を含意する。 その者は,画一化に対し<反抗>を現してくる者である。 そこで画一化社会は,画一化を押しつける仕業が,生業になる。 「画一化業」というわけである。 実際,「救助・救済・治療・矯正・教育・指導」等のことばで表現される仕業が,これになる。 画一化は,全体主義である。 画一化業は,全体主義を押しつける仕業である。 画一化社会は,画一化業を<逆らってはならない仕業>にしなければならない。 そして,実際そのようになる。 画一化ダイナミクスは,ひとの幻想にも作用するのである。 ひとは,画一化業を<逆らってはならない仕業>にしていく。 このレベルにまつり上げられた職業を,「聖職」という。 「聖職」は,聖なる職だから聖職なのではない。 ひとに画一化を押しつけるためには「聖」幻想を要するので,聖職なのである。 かくして,各種救済・指導──医療・宗教・教育等──の職が,聖職になる。 ひとは,救済・指導されねばならないものになる。 ひとの多くは,救済・指導を恩恵と思っているが,これは強制である。 救済・指導が恩恵になる者,それは画一化が自分に合う者たちである。 画一化から外れる者たちは,救済・指導が強制になる者たちである。 画一化から外れる者たちは,救済・指導を苦痛にして,これに反抗する。 彼らの 「せっかく救済・指導してくれようというのに,なんという馬鹿者だ!」となる。 画一化社会,全体主義,聖職──これらはセットである。 よくよく吟味すべし。 |