Up | 精神主義とは : 要旨 | 作成: 2020-05-30 更新: 2020-05-30 |
類別の仕方は色々である。 性,体格,器量,出自,‥‥‥ なかには,人の類別に「精神」を用いる者がいる。 「精神」を立てるのは,観念論である。 したがって「精神で類別」は,主義である。 この主義を,「精神主義」と呼ぶことにする。 「精神」を立てるのは,観念論である。 現実の人間は,「この人の精神は‥‥」となるものではない。 「この人の精神は‥‥」は,レッテル貼りである。 「この人の精神は‥‥」のことばに遭ったとき,そこから視線を向けるべき対象は,このレッテルを貼られた者ではなく,レッテルを貼った者である。 そして問え。 「この者は,どうしてこのようなレッテル貼りをするのか?」 精神主義は,病気である。 「この人の精神は‥‥」のことばは,これを言った者の鏡像である。 「この人の精神は‥‥」のことばを言う者は,「この人の精神は‥‥」を言う自分に見とれる者である。 自分に見とれたいために,「この人の精神は‥‥」を言うのである。 これは,病気である。 精神主義の病理,それは<疎外>である。 ひとは,自分を自分以外と比較する。 これをすると,自分はつまらない存在になる。 つまらない存在の自分は,疎外感をもつ。 ひとは,この疎外感から脱けようとする。 どんなふうに? 幻想を用いるのである。 幻想の中なら,自分がひとより優れているようにできる。 つまらない存在の自分がひとより優れているもの,それは見えるものの類には無いことになる。 ひとより優れているとして立てるものは,見えないものである。 それは「精神」ということになる。 実際,「精神」だと,誰もが自分が一番になれる。 もっともたやすいのが,「善」。 「自分はこんなにも善であるのに,ひとは善をないがしろにする」 クレーマーとは,このような存在である。 そしてこのバリエーションが,ずらりと並ぶように有る。 「信仰心」「誠実」「規則遵守」「愛国心」「大和魂」「階級的憎悪」‥‥‥ この手の精神主義は,要るものが無い。 手ぶらで足る精神主義である。 そこで,全員が同じ精神主義を掲げるということが起こり得る。 これが,全体主義である。 個は多様であるから,実際は全員とはならない。 外れ者が析出する。 この者たちは,全体主義によって粛清される。 粛清するのは,権力ではない。 全体主義では,大衆が競って警察になる──人民警察。 この人民警察が,外れ者を粛清するのである。 以上論じたように,精神主義はひとの自衛反応であるというポジティブな面と,全体主義に流れるというネガティブな面がある。 |